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絶滅危惧種のわたし

 彼の二年ぶりの帰還を、わたしはもちろん喜んだけれど、それは単純な喜びとは違う複雑なものだった。なにしろそれは三度の半年延長の末の帰還であり、それまでに焦がれる気持ちが高まるのはもちろん、それと同時にフラストレーションもたっぷりと溜まっていたからだ。
「彼らは絶滅の危機に瀕してるんだ」と、彼は最後の晩餐、つまり彼が旅立つ前夜の夕食の時にわたしに言った。それはもう何度も繰り返されていたから、その先なんと言うかはわかっていた。
「そこにしか棲息しないカエルなんだ。とても小さくて、色鮮やかで、かわいいカエルなんだ、どうにか保護しないと、でしょ?もう何度も聞いた。写真だって見たし。もう、わかったから、なにも言わないで」わたしはそう言って、ピザをかじった。全然味なんてしなくて、まるで古い雑誌でもかじったみたいな感じだった。
「たった半年だから」と、彼は言った。
「わたしの有限な生涯のたった半年」とわたし。「もしかしたら、わたしとあなたの関係の有限な時間の半年」
「どういう意味?」
「さあね」
 最悪に険悪だった。半年の別離の前の関係としては最悪のものだったとは思う。でも、こちらとしては彼が愛想を尽かして現地で浮気するような心配もない。なにしろそこは熱帯のジャングルのど真ん中で、相手になりそうなのは気味悪い昆虫かヌメヌメの両生類だけだ。まあ、そのヌメヌメの両生類が彼を魅了し、そこにいざなったわけだけど。
 永遠の愛を誓おうとも、わたしたちの時間は有限だ。永遠なんてない。半年は有限引く半年であり、そこから半年、また半年、さらに半年と引かれて、結局マイナス二年。有限から二年の歳月が奪われた。カエルなんて知ったことか。
「おかえり」とわたしが言い、「ただいま」と彼が言う。ぎこちなさは時間が生んだものだと信じたい。そして、当たり前の日常が戻ってきましたとさ、めでたしめでたし。
 とはいかなかった。ひと月もたたないうちに、彼はまたそのジャングルに向かうと言い出したのだ。わたしは怒る気も失せていた。
「他の人じゃダメなの?」
「そんな変わり者はいないよ」と彼は笑う。
「どういうこと?」
「そんなカエルのことを気に掛ける人間はいない」
「じゃあ、あなたも気に掛けなければいいじゃない」
 沈黙。すべての生物が絶滅したあとの沈黙みたいだ。
「絶滅危惧種なんだ」
「何度も聞いた」
「保護しなければ絶滅する。ぼくが行かなきゃ」
「わたしだって」とわたしは絞り出した。「この世界にたったひとり、わたしがいなくなったら絶滅しちゃうわたしだよ」
「うん」と彼は言い、沈黙。すべての生物は絶滅しました。
「わたしとあなたが人類の最後のふたりで、どこかの動物園みたいなところで暮らしてたらいいと思わない?そうしたら、ずっと一緒だわ。それで、わたしはあなたの子どもを産むの」ちょっとした冗談だ。半分は本当。わたしは彼に旅立ってほしくない。
「ぞっとするね」と彼が言い、わたしはムッとする。「ふたりだけじゃ、最小存続可能個体数を完全に下回ってる。それじゃあ、絶滅するしかない。それに、そこで産まれたぼくらの子どもはどうなるんだろう?その子は人類最後のひとりになるんだよ。その状況で子どもを作るのは倫理的だろうか?」
 わたしは、人類最後のひとりになった息子だか娘だかのことを考える。孤独な最後のひとり。その子の孤独と、わたしの孤独、どっちがより孤独だろう?



No.147

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