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それは輝き続けるのか?

 宇宙空間を、不格好な物体が飛んでいく。その残念な不格好さは、つまるところそれが人の手によるものだからである。もちろん、それを判断するにはある視点が必要になるだろう。天体を航行する星々が美しく、宇宙空間を等速直線運動する金属の塊が不格好だと感じるのは、神ではなく、その金属の塊の中でかろうじて息をしているその男の感性によるものだった。男は自分を取り囲む無辺の宇宙を前に、人間の卑小さに、打ちのめされていた。
 それは救命艇だった。宇宙船でトラブルがあった際に乗り込むためのものだった。男がそこにいるということは、トラブルがあったというわけになるのだが、男はそのトラブルがどんなものだったのかを知らない。宇宙船に衝撃が走り、警報が救命艇に乗り込むことを指示したために男は慌ててそれに乗り込んだ。男以外の乗組員は誰も来ない。そのまま、救命艇の扉は閉ざされた。ちょうどその瞬間、爆発が起こり、その衝撃で、本来は地球に向かう航路をとるはずだった救命艇は宇宙空間に放り出されたのだった。母船は爆発で崩れていく。そこにいるはずの乗組員が助かる見込みを考える方が馬鹿馬鹿しいくらいに、完全に崩壊してしまった。
 おそらく、と彼は思った。自分以外の乗組員たちは自分がなぜ死んだのかすらわからないまま死んだのだろう。そして、自分の現状を鑑みる。
「通信レポートをご報告してもよろしいでしょうか?」と、機械によって合成されたことがあきらかな音声。救命艇に据えられたコンピュータだ。
「いや」と、男は言う。「いいよ。やめてくれ」
 コンピュータはプログラムに従い、母船から離れた瞬間から救命信号を出していた。しかしながら、それに応じるなにかはまったく返ってこない。どうせまた同じだろう。そんな報告は聞くだけで気が滅入る、と男は思った。おそらく、信号の届いている範囲には誰もいないのだ。あるいは、届いていたとしても、それに対する返信がまだ届かないほど離れている場所にいるか。どちらにせよ、状況としては同じだ。男は孤立無援の状態だった。この宇宙に、男を助けられるものはいない。
 男は考える。母船の事故で一瞬で死んだ仲間たちと、自分のどちらが幸福かを。男には自分がじきに死ぬであろうことがわかっていた。酸素の残りがもうない。救命信号に気づいた誰かが急いで助けに来たところで、見つけるのは男の亡骸に違いない。その不格好な救命艇は、男の棺に等しかった。それは男の命を繋ぐためのものではなく、死を運ぶものだ。男にはそれがわかっていた。眼前に迫る死。それを感じながら生きるのと、気づかないうちに死ぬの、どちらがより幸福だろうか。男はそんなことばかり考えていた。答えは出ない。もしかしたら、それはそもそも問い自体が間違っているのかもしれない。幸福な死など無いのかもしれない。
「酸素残量、報告しますか?」
「いや、いいよ。やめてくれ」
 コンピュータは完璧な計算をし、完璧な予測を立てているだろう。男の行く末に待つのは死だ。それも遠い未来ではない。一瞬、その確率を尋ねてみようかと思ったが、やめた。きっと、慰めなど口にしないだろう。
 男は窓の外を見る。無数の星々が光っている。まだ幼かったころの男が見上げ、その心をつかんだ星々、彼らの導きで、男は宇宙空間に足を踏み入れたのだ。そして、その結果がこれだった。
「これは」と男は言った。「幸福な死なのかもしれない」
「定義によります」コンピュータは言った。男は苦笑した。
「ひとつ」と男は息をつきながら言った。「頼まれてくれるか?」
「なんなりと」と、コンピュータは答えた。
「俺が死んでも、この星々が瞬き続けるのかを見ておいてほしいんだ」
「お言葉ですが」と、コンピュータは言った。「ここは真空の宇宙空間です。星が瞬くのは大気のある地上でだけです。ここでは星は瞬きません」
 男はまた苦笑した。「お前は正しいよ」
「定義によります」
「そうかもしれない」
「もしもおっしゃっているのが」と、コンピュータは言った。「あなたが死亡したのちにも星が輝いているかどうかということでしたら、お言葉ですが」
「わかってる」男はコンピュータの言葉を遮った。「お前が言いたいことはわかってる。それでも、確かめてほしいんだ」
「わかりました」コンピュータはそう答えた。
「ああ」と、男は息を漏らした。「俺が死んでも、変わらずに輝き続けるなんて、なんて残酷なんだろう」
 そうして、しばらくして男は死んだ。コンピュータは、星々が輝き続けているのを見ていた。


No.446


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