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結婚すると思ってた

「結婚すると思ってた」と、ぼくと彼女の共通の友人はぼくに言った。彼女の結婚の報せを聞いたのだという。彼女の結婚であり、ぼくの結婚ではない。ぼくはまだ当分独身が続きそうな塩梅だった。
「結婚すると思ってた」と、友人は言った。
「どういうこと?」ぼくは尋ねた。
「いや」と、彼は頭を掻きながら、なんだか少し言いにくそうに言うのだった。「お前と彼女が、結婚するんじゃないかと思ってた」
「付き合ったこともないよ」と、ぼくは笑った。
「いや、なんとなくさ」
 確かに、ぼくと彼女は仲の良いグループの中でも極めて仲の良い間柄ではあった。馬が合う、というか、特別趣味が合うとか、好きなもの嫌いなものが似ているとかではない。むしろ、違っているところが多いくらい。それでいて、それをネタにいつまでもじゃれ合っていることができたし、あるいは、彼女からちょっときついことを言われても、腹が立つよりも反省して改めようと思わせる何かがあった。それは、ぼくから彼女に対してもそうだろう。そんなふたりの様子を見ていた友人は、ぼくらの関係性がなかなかに深いものだと思っていたのだろう。
「たぶん、みんなそう思ってるぜ」
「みんなって?」
「みんな」
 会う友人会う友人、彼と同じような感想をぼくに漏らした。なぜかぼくに対して同情的なふるまいをする人さえいた。
「恋人になったこともないんだよ」と、ぼくは言うのだった。「そんな深い関係になったことなんてないんだ。手を握ったこともない。ただの友だちだよ」
 訝しむ目。「ただの?」
 ぼくは肩をすくめる。「ただの、とても仲の良い友人」
 正直なところ、ぼくもなんだか彼女と結婚するような気がしていた。だから、彼女の結婚の話は寝耳に水と言ってよかった。とはいえ、ぼくが彼女になにかアプローチをかけようとか、恋心を持っていたとかいうわけではない。彼女は女性として魅力的だったし、人間としても尊敬できた。彼女をガールフレンドに、そして妻にできる人間は幸せだろうと思う。しかしながら、ぼくは彼女と恋人同士になろうとか、そういうことはまったくしなかった、というか、考えもしなかった。それでも、なんとなく彼女と結婚するような気がしていた。それは水が低い方に流れるみたいに、物体が落下するみたいに、そんな感じで、ぼくと彼女は結婚するような、そんな気がしていたのだ。
「なにそれ?」と、彼女は笑った。結婚の報が駆け巡ってからはじめて会った時のことだ。「変なの」
 ぼくは肩をすくめた。同意の仕草のつもりだ。確かに変だ。
 もう少し変なことを言おう。読者の皆さんはすでにぼくのことを、頭がおかしいとか、気持ちが悪いと思っていることだろうし。
 ぼくと彼女は前世において夫婦だった。仲睦まじい夫婦だ。来世もきっと一緒になろうと誓い合うくらい仲の良い夫婦。ぼく自身、前世だ来世だなんてのはこうして経験するまで眉唾物だと思っていたのだから、それを信じろという方が無理だろうということは百も承知だ。
 彼女を一目見た時、ぼくはすぐにわかった。彼女が前世の妻であることを。しかし、彼女の方はそんなそぶりを見せない。ぼくはそのこと、前世で夫婦であったことを言い出せなかった。言えば頭のおかしなやつだと思われそうだ。まあ、前世の彼女はそそっかしくて、忘れっぽい人だったし、ぼくはそれも含めて彼女を、前世の彼女を愛したわけで、彼女らしいな、と思うだけだ。
 というわけで、そのまま今日にいたったわけだ。まあ、前世で誓い合ったとしても、それをそのまま履行するような契約ではないし、忘れてしまっていたとしても責められない。なにせ、前世のことだ。覚えている方がおかしい。それのぼくの気持ちとしても、純粋に彼女を祝福している。負け惜しみとかではなく。
「結婚おめでとう」と、ぼくは言った。
「ごめんね」と、彼女は言った。
「なにが?」
「他の人と結婚しちゃって」
 ぼくは肩をすくめた。「みんなの言うことなんて気にする必要はないよ。君は君の好きな相手と結婚すればいいんだから」
 彼女は首を横に振った。「約束したじゃない?」
「約束?」
「うん、約束」と、彼女はうなずく。
「いつ?」ぼくは彼女、前世の彼女ではなくて、いま目の前にいる彼女とそんな約束なんてしたことがなかった。
「前世で」
「覚えていたの?」
 彼女は小さくうなずいた。なにか言葉が出てきそうになったけれど、ぼくはそれを飲み込んだ。そして、笑った。
「結婚、おめでとう」
「ありがとう」と、彼女は笑った。


No.679

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