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それ

 我々の使命はそれを届けることであった。
「それの中身は」と、新入りは必ず尋ねる。わたしもそうだった。「なんなんです?」
「それはそれだ」というのが答えだ。「それ以上のなにかは無い」
 その役目は、集落の男十人でなされた。
 それが何なのか、我々は知らなかった。幾重にも織物で覆われ、我々は中身を知ることができなかったのだ。その状況は我々に限らない。集落の人間全員が、司祭を除いた全員が、それが何なのか知らなかった。知る必要はないと思われていた。それを届けるにあたって、それが何なのかを知る必要はなかった。とにかく、慎重にそれを彼らに届ければ、我々の使命は果たされるのであった。我々が知っておくべきことはそれだけであった。もしかしたら、司祭もそれがなんなのかを知らなかったのかもしれない。ありそうなことである。しかしながら、司祭はそんな素振りは見せなかった。あたかも、それを知り尽くし、支配しているかのように振る舞っていた。司祭の、死に対する振る舞いと同じように。
「頼んだぞ」と、司祭は重々しく言い、我々を送り出す。
「はい」と、恭しく我々は言う。
 我々はそれをなぜそこに届けるのかも知らなかった。とにかく、そこに届けるのだということしか知らなかった。それをそこに届けるのだということしか、我々は知らなかった。それで不都合はなかった。我々は、それをそこに無事に届けるだけである。
 その道のりは苦難の連続であった。幾度となく山賊や盗賊に襲われた。彼らももちろんそれが何なのかを知らないはずであった。我々がそれを大切に扱っていることが、それが貴重なものであるという風に読み取られるのだろう。彼らはそれを奪おうとした。我々はそれを防いだ。なぜなら、我々の使命はそれを無事にそこに届けることだったからだ。それが奪われるわけにはいかなかった。それが何なのか、貴重なものなのか、我々は知らなかったが、我々は命懸けでそれを守った。それが命をとしてまで守る価値のあるものなのかはわからなかったが、我々は我々の使命に殉じた。それをそこへ届けるまでに、出発した時にいた人数の半数まで減ってしまっていた。苦楽を共にした仲間たちを失うことは我が身を切られるほどの悲しみだったが、我々は振り返り失われた仲間たちを悼むことはできない。我々には使命があるのだ。
 それを届けるべき相手である彼らのもとに近付くにつれて、我々はひとつのことを理解した。それは、それは本来我々のものではなく、彼らのものであったということだ。これは直観的にわかった。それとひとときも離れず、命をかけて守っていれば、自ずとわかることだ。我々はそれを彼らに返しに行っていたのだ。借りたものは返さなければならない。それに価値があるかないかは関係ないのだ。そう考えれば、全てが腑に落ちる。それが何であれ、どんな価値を持っているものであれ、借りたものは返さなければならない。それは自明の理だ。理ですらない。それは本能に近いようにすら思う。具体的なものでなくとも、借りは返さなければならない。そうしないと、バランスがとれないからだ。我々のしていることは、失われた均衡を取り戻すということだったのだ。
 そしてついに、我々は彼らにそれを届けた。つまり、返すことができたのだった。長い旅路であった。多くの犠牲が払われた。しかし、それを彼らに返せたということの重みの方が、それらに払ったものよりも遥かに大きかった。そうして、我々は家路についた。我々の帰還に対するみなの喜びぶりは大きかった。七つの昼と七つの夜ぶっ通しで宴が催された。集落の誰もが安堵していた。借りていたものを返せたのだ。これほどの解放感があろうか。
 そして、八つ目の朝、我々は客人を得た。見知らぬ男たちであった。美しい織物に覆われた何かを持っている。おそらく、それが何なのかをその男たちに尋ねても意味のないことだろう。
 男たちの代表格のものが言った。「これを返しにきました」
 我々はそれに見覚えがなかった。おそらく、それは我々のものではなく、誰かのものであり、その誰かに返さなければならない何かなのである。我々の旅は続く。

No.545


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