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無限の恋文

 すごく好きな人がいた。好きで、好きで、たまらなく好きで、どこが好きなのか尋ねられたら「全部」と答えざるを得ないくらい好きで、それは説明するのが面倒だから「全部」と答えるわけではないくらい本当に全部好きで、もしも面倒がらずにその好きを事細かに説明するとしたら、宇宙が始まって終わるまでが少なくとも三回分くらいの時間がかかるくらい好きで、それはもう憎いくらい好きで、あるいは本当は憎んでいるんじゃないかと言うくらい、四六時中その人のことが頭から離れず、それは好きだからで、とにかく、その人のことが好きだった。
 その思いのたけを込めたラブレターを送ることにした。面と向かってそれを伝えようとしたら、あまりの思いの多さにそれは押し合いへし合い出て来られなくなって、結局一言も話せず、赤面しながらもじもじしているのが関の山だからだ。
「あなたが好きです」と書いて、破って捨てた。それが自分の心の内のありのままを書きつくしていないことがわかったからだ。足りない。全然足りない。足りないような気がする。足りないことなんてあってはならない。
 もしも色で喩えるのなら、「あなたが好きです」なんてセリフは「これは赤です」と言っているに等しい。しかしながら、その感情は赤であり、赤でなく、青でもあって、緑でもあり、黄色でもあり、見る瞬間が違えば黒でも、また白でもあるようなものであり、そして間違ってもそれは色で喩えられるようなひとつの感覚だけで捉えられるようなものではなく、心地よい響きであり、不快な不協和音でもあり、かぐわしき香りであり、すえた臭いでもあり、柔らかく温かくもあり、冷たく硬くもある。そして、ここまで長々と書き連ねてきたそのどれもが当てはまらないような、そういうものなのだ。かつ、すべてが同時に当てはまりもする。その感情を誠実に、どこまでも誠実に表そうとするのなら、そういうことになる。詭弁だと思う?そうかもしれない。
 そして、よもやその感情を遺漏なく語り尽くしたとしよう。もちろん、それ自体が不可能ではあるだろうけれど、そう仮定するのも悪くない。無限にも濃度がある。それと同じように。
 語り尽くされた感情だけで、語られるべきことは十全かと言えば答えは否だ。なぜかくあるのか、こうあるのであって、なぜこうでないのではないのか、そうしたことも語られなければならないのだ。その人のあるこの世界のすべてが語られなければならない。すべてとは、現にあるそれだけではなく、ありえたもの、ありえないが想像できるもの、想像すらできないものまで、すべてである。それはあるいは語り得ないかもしれないが、語り得ないものすら語らなければならない。哲学者であれば、語り得ぬものは沈黙するのが誠実な態度かもしれないが、恋する人間にとってのそれとはつまり、語り尽くせぬものであろうと語り続けるということなのだ。沈黙とは裏切りである。恋人たちにとっては。
 原子について語り、ブラウン運動について語り、白色矮星について語り、ヒッグス粒子について語り、四色問題について語り、文学作品における植民地主義について語り、フェミニズムについて語り、侵略について語り、宇宙を経巡り、それを何度だって繰り返し、繰り返し、無限の彼方へ飛び立つこともいとわず、そうして、愛を語るのだ。そうして語り続け、語り続け、語り続ける。世界を賞賛し、悪罵する。
 そうしていつか来る死とともに沈黙するのを見て、愛を裏切ったと責めてほしい。そうなれば本望だ。
 いつか来るその日まで、語り続ける。
 あなたに。
 これはあなたに向けた恋文。あるいはここでこれは打ち切られるように見えるかもしれないが、それでもなお、語り続ける。無限の片隅で。あなたへの愛を。


No.514


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