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選挙

「そろそろこの船のリーダーを決めるべきだと思うんだ」と父さんが言ったのはぼくたち二人が漂流を始めて四日目のことだった。ちょうど食料も水も尽きつつある頃合いだった。エンジンも無線機もいくら頑張っても素人には直せそうになかった。ぼくも、父さんも素人だ。
「船って」ぼくは辺りを見渡した。ぼくらと、ぼくらの命運を乗せるにはあまりにも心もとない粗末な小舟(一応船室らしきものはあり)それにどこまでも広がる大海原。「この小舟のこと?」
「どんなに小さくても船は船だろう」父さんは言った。それは確かにそうだ。それに、それを否定したら自分たちが心細くなるのは目に見えていた。ぼくらは大海原のど真ん中を漂流しているが、船に乗っている。気分だけの問題だ。実際は何の解決もしない。
 父さんが言うには、この四日間を無為に過ごしたのはリーダーシップを発揮する人間がいなかったせいだとのことだった。そのために、食料や水を無駄に浪費し、解決策も持たないままにエンジンと無線機の修理にあたることになってしまったのだと。そして、得られた結果は無為の四日、食料と水の浪費と素人には修理は不可能という確認だけだ。
 リーダーをどうやって決めるのか尋ねると、父さんは選挙にしようと言った。
「リーダーは民主的に選ばれるべきだと思うんだ」
「選挙って」船にはぼくと父さんしかいなかった。ぼくはそんなことをせずに、父さんがリーダーになればいいのではないかと言った。父さんは大人だし、何よりぼくの父親なのだから。しかし、父さんは選挙をやるとの一点張り。仕方なく折れて選挙をすることにした。
「本当にリーダーにふさわしいと思う人の名前を書くんだぞ」と父さんは念を押すように言った。
 ぼくは本当にリーダーにふさわしいのは誰か、この場合父さんか僕かのどちらかを真剣に考えた。そして、父さんが投票用紙として作った紙にその名を書き込み、父さんに手渡した。
「ちゃんと考えたね?」と父さんは微笑みながら尋ねた。ぼくはうなずいた。
 開票してみると、票が割れてどちらも過半数を取れなかった。父さんもぼくも自分自身に投票したのだ。父さんは不機嫌そうに眉を寄せた。
「悪ふざけはいけないな」と父さんは言った。「これは真面目な選挙なんだ」
 ぼくは黙っていた。ぼくはぼくなりの考えがあって自分に投票したのだが、父さんを傷つけずにそれを説明するのは至難の業に思えた。エンジンも無線機も、父さんが触れるたびに状況は悪化したし、すぐに救助が来ると高をくくって食料と水を浪費したのは父さんだ。だけど、そんなことは言えない。言えば父さんは傷つく。では、父さんに投票にすれば良かったようにも思うが、それはできなかった。ちゃんと考えて投票するように言ったのは父さんなのだ。ぼくはできる限り父さんの言うようにしたいのだ。
 船の上に重い沈黙が立ち込めた。父さんもぼくも口を開こうとしなかった。お互い相手をじっと見ていた。
 ちょうどそこに貨物船がぼくたちの小舟の近くを通り、幸運なことにぼくたちは救助された。まあ、助かったからこそ、その時のことをこうしてお話できているわけだけれども。
 それから父さんとぼくは日常に帰って、それまでと同じように生活をした。しかしながら、父さんとぼくの間にそれまでと違う何かが生まれたのは確かだ。

No.251

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