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ゾンビの倒し方

「でも」と、最後に彼は言ったのだった。「腐っていくのは、ぼくも君も同じじゃなかな?」
「ぼくは死んでいるんだ」というのが彼の第一声だった。「あとあと驚かせるのもなんだし、隠してたと思われたくないから先に言っておくけど」
「ふうん」というのがわたしの反応。「そっか」
「驚かなかった?」
「別に」わたしは肩をすくめた。「多様性の時代だしね」
「君」と、死んでいる彼はじっとりした目つきでわたしを見た。死んだ人間の目つきというのはそういうものなのかもしれないけれど。「皮肉屋だって、よく言われるでしょ?」
 わたしはもう一度肩をすくめた。
 彼との出会いはちょっとした偶然だった。偶然出会い、偶然言葉を交わした。ひどい雨で雨宿りをしていたところに、彼が飛び込んできた。「ひどい雨ですね」「そうですね」みたいな。別に会話を始めないという選択肢もあったのだろうけど、会話は始まったわけで、たぶん、多くの出会いと同じように。出会いなんてそんなものだろう。偶然の重なり。たまたま。運命なんて言わない。そして、たまたまその出会った人が死んでいたということだ。
「生きる屍?」
「まさに、その通り」と、彼は指を鳴らした。
 わたしは一歩下がって、彼の姿をまじまじと眺めた。それは生きている人間とまるで違いのない感じ。むしろ、どちらかと言うといい印象を与える、好青年という感じだ。髪はサラサラだし、どこかから血を流ししていたり、腕がもげそうになったり、内臓を引きずっていたり、腐臭を漂わせていたりはしない。
「ゾンビなの?」
「そう呼びたければ、そう呼んでもらってもかまわないよ」
 わたしは肩をすくめた。彼はそっと笑った。もし彼と普通の生きている人間になにか違いがあるとしたら、それは彼が周囲に寒々とした空気をまとっているということだろう。もしかしたら、それは彼が生きていたころからまとっていたものなのかもしれないけれど。生きてた?生きてたんだよね?
「もちろん」と、彼は答える。「生きてなきゃ死ねない」
「そうだね」
「ふふ」と、彼は笑う。
「なに?」
「いや」
 空を見上げる。まだ黒い雲が頭の上を覆っている。大きな雨粒が降りしきっている。
「生きているふりをしているんだ」と、彼は言った。
「死んだふりみたい。熊に出会ったときにやる」
「ははは」と、彼は笑った。「あれは効き目がないみたいだよ」
「なに?」
「熊。死んだふり。ゆっくり後ずさりして逃げたほうがいい」
「そうしないと、熊に食べられて死んじゃう?」
「そう、ぼくみたいにね」と、彼は笑った。「君は面白いな」
 わたしは肩をすくめた。
「ぼくが死んだ理由を知りたい?」
「いや」と、わたし。「別に」
「それがいい」と、彼も肩をすくめた。わたしのが感染したみたいだった。「全然面白い話じゃないからね」
「みんな死ぬ」と、わたし。「いつかはね」
 わたしは空を見上げる。雨は小降りになってきた。黒い雲も去って、少しずつ明るくなってきている。一番悪いときは終わるのかもしれない。
「ゾンビって、もっと、そのなんていうか」と、わたしは言葉を選んだ。
「汚い感じだと思ってた?腐って、目玉なんかぶら下げて」と、彼は言った。そして、笑った。
 わたしは肩をすくめた。同意の表明。その通り、指を鳴らすのは下品だと思う。
「まだ死んだばかりなんだ」
「新鮮なゾンビ」
「その通り」と、彼はまた指を鳴らした。たぶん、生きている彼とは仲良くなれなかっただろうな、と思う。彼が死んでなきゃまともに言葉を交わそうなんて思わなかったに違いない。
「これから腐っていくんだよ。たぶん」彼はまっすぐ前を見ながら言った。そうしてまっすぐ前を見れば、自分の未来を見通せるかというかのように。彼の未来、腐敗した、新鮮でないゾンビ。
「怖い?」
「なにが?」
「腐っていってしまうこと」
「いや」と彼は首を横に振った。
「そう」
「でも」と、彼は言ったのだ。「腐っていくのは、ぼくも君も同じじゃなかな?」
 雨がやんだ。
「やんだね」
「うん、やんだ」
「君と話せて楽しかったよ」
 わたしは肩をすくめた。彼は微笑んだ。
「さようなら」
「うん」
 そして、わたしたちはそれぞれの向かうべき場所へ歩き出した。


No.496


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