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書物を燃やすものは人も燃やすだろう

 皇帝は字が読めなかった。極貧の境遇からの成り上がり者が彼であり、農村で木の根をかじって暮らすような貧しい生活をしていたものが、あれよあれよと上り詰めた。そんな具合だったので、農作業の手伝いに追われ、子供の頃に教育らしい教育を受けておらず、字が読めない。
 上り詰めた人間の例に漏れず、皇帝はひどく猜疑心の強い男だった。その地位を勝ち得るまでになりふり構わず汚いことだってやって来た。確かに、恨みを買っていないと考えるのは無理というものだ。
 皇帝は文字をひどく怖れた。それは彼にとって未知の怪物、邪悪な魔術に等しかった。そこに自分のを誹謗するような内容が書かれているのではないかと気が気でなかった。もしも、それが書かれていたとしても、彼にはそれがわからない。たとえ罵詈雑言の限りを尽くしたものであっても。
 目の前で牛を盗まれているのに何もしない牛飼いがいたら皆間抜けと笑うだろう。皇帝は自分がまさにそれだと感じていた。
 牛がいなければ牛は盗まれない。そこで、皇帝は文字をこの世から消すことにした。布告を出し、文字の使用を禁じた。もちろん、この布告にも文字は使えない。そこで文書という形をとらずに直接口頭で伝えることになった。
「今後、文字の使用を一切禁ずる。この禁を破った者は首をはねる」
 猜疑心の強い皇帝である。この伝達が自分以外によっても遺漏無く果たされるか確信が持てない。そこで皇帝は帝国領内を隈無く巡り、一人一人に会い、告げていった。この時ほど皇帝が自分の精力的な領土拡大を悔やんだことはないという。
 その苦労の甲斐あってか帝国から文字は姿を消した。本という本は火にくべられた。高尚な哲学書からポルノ小説まで。はたまた買い物のメモまで。見せしめのために学者たちも火にくべられた。人々は恐怖に戦いた。人々は文字を捨てた。
 皇帝はそれでは飽き足らなかった。宮殿の奥、皇帝の寝室まで、人々の声が聞こえて来た。それは皇帝はを非難する声だった。文字を返せという声だった。夜な夜なするその声で、皇帝は眠れなくなった。そこで皇帝は言葉を禁じることにした。
 宮殿に面する広場に、帝国の首都に暮らす人々が集められた。人々は何が始まるのか知っていた。口伝てで噂が広がっていたのだ。人々は知っていた、皇帝が言葉を禁じるであろうことを。
 皇帝は脇に控えていた親衛隊長に言った。
「今から、何らかの言葉を口にする者がいたら、即刻首をはねよ」
 親衛隊長は黙ってうなずいた。
 皇帝はバルコニーに出て人々にその姿を見せた。広場一杯に詰め掛けた人々は息を呑んだ。皇帝は人々を見下ろし、威圧するようにそれを隅から隅まで見回した。
 皇帝は息を深く吸い込み、人々に呼びかけようと「みなの」と言葉を発した瞬間、親衛隊長の太刀が煌めいた。一閃、皇帝の首と身体は別れの暇さえ無く切り離された。人々は皇帝の圧政からの解放に歓喜の声をあげた。広場は言葉で満たされた。こうして帝国は瓦解した。
 そして、文字は息を吹き返し、そのお陰で、今こうしてその事について語ることができているのだ。


No.265

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