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空飛ぶクジラはどこへ向かうのか?

 ぼくがまだ幼い頃の話。まだ幼稚園に入る前のことだったように思うから、ぼくの記憶の最古層にある出来事だ。その時分、ぼくたち家族は祖父母と一緒に暮らしていた。田舎の、古い民家だ。広いだけが取り柄のオンボロ屋敷で、トイレはまだ汲み取り式だった。周りも同じような家、同じような人々が暮らすような土地だった。
 ある夏の暑い日、ぼくは軒先で空を見上げていた。他に特にすることは無かった。蟻たちの行進を観察し、蝶のヒラヒラと飛ぶのを眺め、そうするとあとはもうやることがない。太陽がギラギラと光っていた。庭にできた影は飲み込まれそうで怖くなるくらい真っ黒だった。それでも、風は心地よかった。ちょうど昼食後で、ぼくは眠気を催し、うつらうつら舟を漕ぎ始めていた。
 しかし、その眠気は一気に吹き飛ぶ。何か空を大きな物が横切っていくのを見たのだ。飛行機でも、ヘリコプターでもない、それはそれまでぼくの見たことのないものだった。
 クジラだ、とぼくは思った。その形が、絵本で見たクジラにそっくりだったからだ。本物のクジラもまた、ぼくは見たことがなかった。冷静に考えてみると肉眼で見たことはいまもない。
 それはゆったりと青空を泳いでいた。 絵本では、クジラは海を泳いでいたが、幼いぼくにはその齟齬は気にならなかった。クジラを見つけた興奮の方がそんな疑問よりもはるかに強かったからだ。
 気付くとぼくはサンダルを履き、それを追いかけていた。ちょうど誘うような速度でそれは進んでいた。ゆっくりと、こちらが追いかけてくるのを期待するような速度で。門を飛び出し、見失わないように、それだけに集中しながら歩いた。田舎道とはいえ、よく車にはねられなかったものだと思う。
 夢中になって追ったが、長い坂道に差し掛かり、ぼくがペースダウンすると、クジラは振り返りもしないで山の向こうに飛び去っていった。そこで気づいた。自分が全く知らない土地に踏み込んでしまったことに。ぼくはその頃のぼくの縄張りから出てしまっていたのだ。クジラを追うことに夢中で、自分がどこを歩いているかなんて二の次だったのだ。それは山道だった。道に覆い被さるように木々が繁っていた。人気も車通りもなく、蝉の声だけが豪雨のように降っていた。 ただただ孤独だった。
 泣き出してもおかしくない状況だと思う。心細さは最高潮だった。知らない惑星にひとり取り残されたみたいだった。しかし、その時のぼくは泣かなかった。泣いても仕方ないと思ったのかもしれない。いや、何も考えられなかったのかもしれない。その事態はそれくらい決定的だった。全ては失われてしまったのだ。もう取り返しはつかない。そんな気分だった。まあ、これは今振り返っての解釈だ。とにかく、その頃のぼくは泣かなかった。それだけは事実だ。
 ぼくはとにかく歩くことにした。どこをどう通ったのか、ぼくは歩き続け、家にたどり着いた。あまりに呆気なくて少し拍子抜けしたのを覚えている。とにかく喉が渇いていた。家人はいつもと変わらない様子だった。おそらく、ぼくの姿が見えないことに気付かなかったのだろう。冷蔵庫から麦茶を出して飲んだ。昼寝をし、夕方に寝汗で目を覚ました。 夕餉の匂いがしていた。その匂いで、ぼくは泣き出した。母も祖母も姉も、ぼくに理由をただしたが、ぼくは泣くばかりでなにも答えなかった。
 ぼくはその空飛ぶクジラのことを誰にも話さなかった。いま思えば、あれは飛行船だったのかもしれない。
 空飛ぶクジラは、いまどこを飛んでいるのだろう?


No.230

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