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夢見る才能

 カエルの子はカエルである。ナスの蔓にキュウリはならない。実にシンプルだ。子は親の形質を引き継ぐ。トンビは鷹を産まない。あなたはあなたの両親に似ているし、あなたの子どもはあなたに似るだろう。生命の神秘、遺伝子の力。
 しかし、その生き物は少し変わっていた。その生き物が、どんな生き物なのか、それを言うことはできない。もったいぶるわけではない。その生き物は、産まれた時には何者でもないからだ。生まれたてのその生き物には、手も無ければ足も無い。頭も胴も無い。目も、鼻も、耳も、口も、何も無い。つるんとした、丸い肉の塊だ。柔らかい毛に覆われた、薄い桃色で、甘い匂いを漂わせている。つい、かぶりつきたくなるような存在だ。それは身動きをとることもできない。歩き回ることはできないし、外敵が襲いかかっても逃げることもできない。自分で食べ物を食べることも、おしっこやうんちをすることもできない。誰かの世話にならなければ生きることすらできない。その世話をするのは親の役割である。親は、その子どもとは似ていない。その生き物の成体は様々な姿をしている。翼を持ち空を飛ぶものもいれば、鋭い角で外敵を追い払うものもいる。誰よりも速く走れるものもいれば、耳がとてもいいものもいる。なぜそんなことが起こるかと言えば、それはその生き物は幼体から成体へとなる段階で、自分で自分のなりたい姿を決められるからだ。なので、その生き物の成体は様々な姿をしているのだ。 それは彼らの望んだ姿だ。
「ぼくは空を飛びたいな」
「わたしは海を泳ぎたい」
「硬い甲羅があるといいな」
 その生き物の子どもたちは様々な夢を見る。それが彼らの持って産まれた唯一の能力、たったひとつ彼らのできることだからだ。彼らは歩くこともできないし、喋ることもできないが、夢を見ることはできる。 夢を見ることだけはできる。
 そうして、夢を見ながら少しづつ大きくなり、ある日、翼を望んだものは翼を、牙を望んだものは牙を、速く走れる脚を望んだものは速く走れる脚を得ることになる。そうして、彼らは自分が大人になったことに気づくのだ。変化はそれだけではないが、彼らがそれに気づくのはまれである。
 成体になると、その生き物は夢を見なくなる。それは叶えられたのだ。もう夢を見る必要はなくなる。翼を持ったものは翼で、牙を持ったものは牙で、速く走れる脚をもったものはその脚で、あるいは獲物を捕らえ、あるいは危機から逃れ、そうして夢見たもので生きていく。夢を見る必要はないし、それは邪魔になる場合もある。
 その個体は、ちょっと変わっていた。
「ぼくは夢を見続けたいな」
 それがその個体の持った夢だった。夢を見続ける方法はひとつしかない。成体にならないこと、大人になることを拒否すること、子どもでい続けることだけだ。 
「それでも構わない」 と、その無力で、歩き回ることも、獲物を捕らえることも、襲い来る外敵から逃れることもできない個体は、そうして夢を見続けた。



No.103

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