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悪の怪人と正義のヒーロー

 人々の悲鳴が街に響く。怪人が現れたのだ。悪の怪人である。
 怪人は悪の限りを尽くした。なにしろ悪の怪人だ。茶碗についた米粒なんて知らん顔、嫌いな人参は全部選り分けて残した。コンビニの傘立ての誰かの傘を拝借し、駐輪禁止の場所に平気で自転車をとめた。トイレで用を足した後に手を洗わず、靴の踵を踏んで歩いた。怪人の悪の所業の数々、街の人々は恐怖のどん底に突き落とされた。
「誰か、誰か助けてくれ!」誰かが助けを求めて叫び声を上げる。
 そこに待ってましたとばかりにヒーロー登場。もちろん、正義のヒーローである。マントを翻し、颯爽と。まさにこれぞ正義のヒーローと言った感じだ。
 人々は歓声を上げて正義のヒーローを迎える。
 正義のヒーローが悪の怪人の前に立ち塞がる。「おい貴様!」正義のヒーローは悪の怪人を指差して言った。「なぜ貴様は悪さばかりするんだ?みんな迷惑してるぞ」
「ふん、知った事か!」悪の怪人はそう吐き捨てるように言って悪さを続ける。
「待て!他人に迷惑をかけて何が楽しい?」悪の怪人の肩を掴んで正義のヒーローが言う。
「楽しいって?」悪の怪人が正義のヒーローの手を振り払う。「別に楽しくなんかないさ。俺は俺の役割を演じてるだけだ!」
「何!」
「そんな奴早くやっつけちゃって!」誰かが叫んだ。
「俺をやっつけるのか?」悪の怪人が正義のヒーローに訊いた。
「貴様が悪事を働くのをやめなければな」正義のヒーローは動じずに言った。
「やめられないね」悪の怪人は事も無げに答えた。「これが俺の役割だ。やめられるはずがないだろ」
「この野郎!」正義のヒーローの必殺の右ストレートが炸裂した。
「ぐわっ!」
「こいつめ!」今度は回し蹴りだ。
「うおっ!」悪の怪人は呻き声を上げる。「ちょっと待て!俺は俺の役割を果たしているだけなんだぞ!役割をちゃんと果たさないでどうする?まだ家のローンが残っているし、長男は大学進学を控えているし、次男だって高校受験だ。妻も毎日パート勤めして頑張ってるのに、一家の大黒柱の俺が今無職になるわけにはいかない」
「じゃあ他の仕事を探すんだ!もっと世のため人のためになる仕事をな!」正義のヒーローが悪の怪人の脳天にチョップを食らわせる。悪の怪人は頭を押さえてうずくまった。「どうだ!改心したか!」
「馬鹿な奴だ」悪の怪人は虫の鳴くような声で言った。「俺が怪人として悪事を働く事で、あんたは正義のヒーローになれてるっていうのに」
「なんだと?」正義のヒーローは愕然とし、身構えていた両手から力が抜けた。
「あんたは俺がいるから正義のヒーローなんだ」
「早くやっつけちゃえよ!」
「そうだ!そんな奴ボコボコにして生ゴミにしちまえ!」
 人々がはやしたてる。
 こいつをやっつけてしまったら、こいつの家族はどうなる?大学受験、住宅ローン、知ったことか!いや、それよりも俺はどうなる?正義のヒーローでいられるのか?悪がいなくて、正義は存在できるのか?正義のヒーローは思った。
「早くやっつけちゃえよ!」怒りにも似た怒号が飛ぶ。それはどんどん積み重なり、嵐のようになる。その嵐の中、正義のヒーローはなにもできず、ただ立ち尽くすだけだった。


No.486


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