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取調室

 朝、警察を名乗る男たちに踏み込まれた。
「理由は言わずともおわかりですよね?」刑事を名乗る男はわたしを後ろ手に手錠をかけながら言った。男の見せた警察手帳には不審な点はなかったように思うが、警察手帳を見たのが初めてだ。不審もなにもない。
「説明してください」わたしは冷静であることに努めながら言った。「逮捕容疑はなんなんです?」
 刑事を名乗る男は鼻で笑った。「しらばってくれるつもりだな」
「しらばっくれるもなにも」と、わたしは言葉を失いそうになった。わたしには法を犯すようななにかをした覚えが本当に無かったからだ。信号でさえきちんと守っている。横断歩道でない場所を渡ったこともない。税金もきちんと納めているし、政府の行いに反抗することなどなかったし、どんな決定も嫌な顔ひとつせずに従ってきた。それをわざわざ誇ろうと思ったことすら無い。それは市民の当然の務めだからだ。わたしほどの模範的な市民も珍しいくらいだろう。「わたしにどんな咎があるというんです?」
「みんなそう言うよ」と、刑事を名乗る男は言った。「聞き飽きた。悪党どもはみんなそう言うんだ。おい、連れて行け」制服姿の警官がわたしの背中を押す。そして、わたしはパトカーに押し込まれた。わたしの両隣に座った屈強な警官押し黙っている。おそらく、喋るなと命令されているのか、命令されるまで喋るなと命令されているのだろう。従順さを誇る従順な犬のように従順だ。
「やったのはお前だろう」と、取調室に入れられたわたしは言われた。前述のとは別の刑事を名乗る男だ。そこは間違いなく警察署であり、警察署の取調室であれば、刑事を名乗る男は本物の刑事なのかもしれない。しかしながら、決定的な一点において間違っているのだ。それが、わたしをその状況を真実であると認めさせない。
「やっていない」と、わたしは答えた。「そもそもなにをやったというんです?わたしは自分がなにをやって、それでここに拘束されているのかもわからない。それすらもわからないのに、やったかやっていないかを答えること自体がナンセンスだ」
 刑事を名乗る男はため息をついた。「強情なやつだ」
「話が通じない。まともな人間はいないのか?」わたしは言った。
「お前以外はみなまともだ」わたしを捕縛しに来た刑事を名乗る男は言った。「なぜあんなことをした?」
「なんのことだ?」
「この悪党が」
 わたしはため息をついた。「どうか教えてもらいたいんだよ。わたしがどんな悪事を働いたというのかを。それを教えてもらえれば、謝罪することも、罰を受けることも、反省することもできる。教えて下さいよ。どんな悪事を働いたというのかを」
「この野郎」と、わたしを捕縛しに来た刑事は言った。「自分のやったことが悪事じゃないと思っていやがるんだ。なんて奴だ。人間だとは思えない」
「違う」わたしは肩を落とした。話が通じないのにいいかげん辟易していたが、そうも言っていられない。わたしの身柄は拘束されており、このもつれ合った人にも等しい状態をどうにか解きほぐし、誤解を解かなければならないのだ。そうでなければ、わたしはどうなってしまうのか。
「死刑だよ」と、取り調べの刑事はまるでわたしの心の中を見抜いたかのように言った。「このまま自分の罪を認めなきゃ、あんたは死刑だ。そのくらいのことをやった」
 うしろでわたしを捕縛しに来た刑事がうなずいている。
「ちゃんと罪を認めるんだ。そうすれば、もしかしたら死刑は避けられるかもしれない」
「認めるもなにも「と、わたしはほとんど呻くように言った。「それがなんなのかもわからない。わからないものを認めることなんてできない」
「平行線だな」
「ああ、平行線だ。うんざりしてくる」
「一言いえばいいんだよ。『わたしがやりました』って。そうすれば、すべて丸く収まる」
 わたしは息をついた。彼らがなにかを言ってもなにも耳に入ってこない。わたしは自分の罪を思っていたのだ。わたしの罪とはなんだろう。ほんの些細なものならば山のように思いついた。わたしは罪にまみれているのだろう。小さな嘘はいくつもついたし、見栄も張った。自分を守るために他人を傷つけたこともあるだろう。しかしながら、それらを積み重ねたとしても、死をもって贖わなければならないようなものになるだろうか。わたしにはわからない。それに、それらが彼らの言うところのわたしの罪だとも思われなかった。
 あるいは、わたしの罪とはわたしが自分の罪を罪と知らなかったことなのかもしれない、と思い。小さな笑いが漏れた。


No.517


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