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イカロスの末裔

 私はこの村で初めて空を飛んだ男の息子であります。もちろん、若い頃にはこう呼ばれることに抵抗がありました。まるで私という個人などおらず、まるで私が父の付属物であるかのような扱いだと、ひとり憤慨したりもしました。まあ、月並みな憤りなのは百も承知であります。それでも、そう感じてしまうのはやはり人情でありましょう。
 父の世代の人々や、父の父の、つまり祖父の世代の人々は、私を「初めて空を飛んだ男の息子」と呼びました。そして、その下の世代、私と同じ世代の人々もそれにならい私を「初めて空を飛んだ男の息子」と呼びました。私の息子の世代も同じように、私を「初めて空を飛んだ男の息子」と呼びます。こうして、それが一度定着してしまえば、それは私の個性を表すものとなり、それなしには私の自己同一性が脅かされるのではないかと思えるほどになりました。
 父が空を飛んだのは、私が生まれる遥か以前、まだ父が少年と呼んでも差し支えのない年頃のことだったそうです。
父は村の子供たちを従え、悪戯をして回る、所謂ガキ大将だったということです。父は村の子供たちの憧れの的でした。弱い者いじめはせず、自分たちに非がなければ相手が巡査だろうと喰ってかかり、それでいて朗らかな笑顔を見せてくれる。
 さて、そんな父が空を飛ぶ顛末でありますが、実のところ、私はそれについてさほど明るくないのであります。何故と言えば、それは父が私に空を飛んだ際の事を一切語ろうとしなかったからなのであります。私には限りません。父は誰にもその当時の話をしようとはしませんでした。村の人間ならば、父が村で初めて空を飛んだ男であることを知らない者はいないのに、父が何故それを隠そうとするが如く黙して語らなかったのか、私にはわかりません。父が死んだ今、それは永遠の謎となってしまいました。
 父の飛行についての情報は全て、その当時それを目撃したという村人たちの話から得たものであります。
 しかしながら、その情報というのも、錯綜したもので、例えば父がどのような方法で空を飛んだのか、目撃者たちの証言を綜合してもわからないのです。それが飛行機やグライダーのような翼を持った物だったのか、はたまた気球のような物だったのか。
 確かに、その当時に目撃し、今もまだ存命しているとなれば、当時は年端もいかない子供であったであろうし、今となっては恍惚の人一歩手前、まともな証言を期待できません。
 また、当時にあっては、それは確実に新奇な物であったことでしょう。それが何なのか、認識できなくとも仕方のないことかもしれません。それがなんなのかがわからなければ、それの説明をするのもおぼつかなくなるでしょう。
 父のその飛行がどのようだったかと言う描写は、ある人は鳥のようと言い、ある人は雲のようと言い、またある人は蝶のようだったと、語る人によって様々です。それぞれがそれぞれに父の飛ぶ姿を見たかのように。
 証言に共通するのは、その日が雲一つ無く晴れ渡った日で、父が入江の崖から飛び立ち、浜に着陸したということ。また、村人たちはみな砂浜に集まり、その様子を見ていたということです。
 そして、父は空に舞い、村で初めて空を飛んだ男になったのです。
 そして、その息子の私は、村で初めて空を飛んだ男の息子となったのであります。 もちろん、その時点ではまだ私は産まれておらず、それどころか私の父と母は出会ってすらおらず、私など姿形どころか、その予感すらなかったのですが。
 その私ですが、私は空を飛ぶどころか、この村を出たことすらありません。野良仕事をし、地をはいながら、私は生きているのです。


No.429


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