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ディスカウントされた犬

「わたしたちの十歳の誕生日」と彼女たちは話し始めた。静かな夜、暗い部屋で。彼女たちは一卵性の双子で、姿かたちはそっくりで、しかもぼくが彼女たちと会うときには、ふたりは必ずお揃いの服装で現れたものだから、ぼくはふたりの識別ができなかった。「それはわたしたちにとって特別な誕生日だったから、(だって、歳が二桁になったのよ?)特別な誕生日プレゼントが欲しいとおねだりしたの」
「特別?」
「特別。それまでは、絵本とか、ぬいぐるみとか、そういったものをもらっていたの。うちはそんなに裕福な家庭じゃなかったし、幼いながらわたしたちも何となくそれがわかっていたから、あまり高価なものはねだったりしなかったの。子供って、意外とそういう気を遣ったりするものでしょう?」と彼女が言った。
「しかも、誕生日プレゼントはふたり分」と、もうひとりの彼女が言った。
「それは大変だ」ぼくは相槌を打った。
「わたしたちがねだったのは、仔犬。わたしたち、犬が飼いたかったの」
「ミルクをあげて、散歩して、そういうことがしたかったの」
「雨の日も雪の日も散歩して、糞を拾う」
「そうしたことだって」と双子の片方は片眉を上げながら言った。「いとうつもりはなかった」
「わたしたち、事前に勉強していたの」
「犬を飼うということがどういうことか」
「そこにどんな苦労が伴うか」
「素晴らしい」と、ぼくは言った。往々にして、憧れは現実を伴わない。楽しい側面ばかりがデカデカと強調された広告のようなものが人生だ。
「そして、結論として、わたしたちは犬を飼うことにした」
「十歳の誕生日に」ぼくは言った。
「そう、誕生日プレゼントとして」
 双子はそれほど美人というわけではなかった。どこか冷たい感じのする瞳で、ぼくが惹かれた部分があるとすればそこだった。彼女たちはあまり表情を変えずに話した。無表情に近い。話している方も、話さずにいる方も、同じ無表情だ。それは静かな夜の暗い部屋にはふさわしい喋り方だと、ぼくは思う。
「指折り数えて、わたしたちはその日を待った」
「そこで決定的に何かが変わるの」
「犬のいない人生から」
「犬のいる人生へ」
 彼女たちは視線を右から左へと動かした。犬のいない人生から、犬のいる人生へ。
「その仔犬は、父が買って来たの」
「雑種の、小さな小さな仔犬」
「鼻をひくひくさせてた」
「わたしたち、とても嬉しかった。その仔犬さえいれば、世界をすべて売り渡したっていい」
「でも」とぼくは言った。「世界は君たちだけのものじゃない。勝手に売り飛ばせないよ」
「そのくらい嬉しかったってこと」
「でも」と双子は表情を曇らせた。「喜ぶわたしたちに、父が自慢し始めたの」
「その仔犬を、どれだけ値切ってきたのかってことを」
「確かに、とても安く売ってもらっていたの」
「そうは言っても、それまでのわたしたちへのプレゼントとは比べようもないくらいお金がかかっていたんだけど」
「それでも、わたしたちはなんだかちょっと失望した」
「ディスカウントされた仔犬」
「それまで光り輝いていたものに、曇りが見えた瞬間」
「なんだかとても残念な仔犬じゃない?」
「ふむ」とぼく。確かにそうかもしれない。
「わたしたち、その仔犬を大切に育てたんだけど、しばらくすると病気で死んじゃった」
「生まれつきの病気」
「全部父が悪いような気がした」
「父が値切ったりしたから、その仔犬が病気になったみたいな気がしたの。もちろん、そんなわけはないけど」
「わたしたち、しばらく父と口を利かなかった」
 そこで二人は口をつぐんだ。言うべきことをすべて言ってしまったかのように。

No.293

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