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永遠のような愛

 永遠の愛を誓い合ったふたりは、その誓いを裏切らないために永遠に生きることにした。ふたりは実に誠実で、嘘を許さない人たちだった。死ぬことで、その誓いを破ることになるかもしれないと、ふたりは考えた。
 もちろん、もしかしたら、死後も互いを愛し続けることができるのかもしれないが、死後のことは死んでみなければわからないわけで、死んでみたら愛せませんでした、などということもふたりには許せず、それならばと永遠に生きることにしたのだ。これなら確実に永遠に愛し続けられる。生きている限り、愛し続けられる。愛し続ければいいだけだ。それには、死という不確定要素は排除されなければならない。
 しかしながら、永遠に生きる、というのは当然ながら生易しいことではない。なにせ永遠である。
 永遠に生きる決意をした瞬間から、ふたりは健康に気を付け始めた。死を避けるためではない。ふたりにとって、死は意志の問題だと思われた。純然たる意志の問題。死なないことに決めればそうできるのだと、彼らは信じた。死ぬ人々は、どこかでそれを受け入れてしまっているのだと、ふたりには思われた。
 ふたりが健康に気をつかったのは、病気にならないためだ。うっかり病気に、しかも不治の病にでもかかってしまったら、それを抱えたまま永遠に生き続けることになるだろう。ふたりはそれを恐れた。それは永遠の責め苦と同義である。もしかしたら、それが永遠に生きようとする意志を挫いてしまうかもしれない。
 口に入るものはもちろん、日差しや空気など、身体に害をなす可能性のあるものを徹底的に避けた。激しい運動もしないようにした。大きな怪我でもして、それと付き合い続けることになったら、永遠にそれに苦しめられかねない。できる限り動かず、刺激物は避け、とにかく心安らかに生きるよう努めた。
 ふたりはどもを持つことも諦めた。子どもができたとして、その子がふたりと同じように永遠に生きようと思うかどうかわからない。それはあくまでも個人的な選択であり、自分たちの子どもだからと言って、永遠に生きることを強制などできないし、したとしても本人の意志がなければそれは叶えられないだろう。子どもが自分たちを残して死んでしまうのに、ふたりは耐え切れないだろうという結論にいたった。だから、ふたりは子どもを持たないことにした。
 できる限り人付き合いも避けた。それも悲しみを呼び込むことになるに違いないからだ。 友人たちが死んでいくのに、それでもなお生き続けるというのは悲しみが積み重ねられていくだけであると考えたからだ。
 それでも、幾人かの友人はいて、交際を続けたのだが、時が流れるにつれ、ひとり減り、ふたり減り、善良なふたりはその度に悲しみにうちひしがれた。そしてついにふたりの友人はみな死んでしまった。
 ほどなくして、死んだ友人たちは、夜な夜なふたりのもとを訪れるようになった。これは嬉しい誤算だった。ふたりは死んだ友人たちと談笑して夜を過ごした。死んだ友人たちは生きている時と全く変わらなかった、と言いたいところだが、やはり変化はあった。彼らは死んだことによって何かから解放されてしまったようで、生きている時にあったはずの何かが欠けていたのだ。
「まあ、悪くない気分だよ」と死んだ友人は言う。「何も恐れることはないし、何かにこだわる必要もない。実に清々しい」
 ふたりは死後にも愛という感情はあるのか、と死んだ友人たちに尋ねた。もしもそれがあるのならば、無理をして生き続けることはないのだ。ところが返って来たのは、どうだろう、という答え、ふたりは改めて永遠に生きる覚悟を決めた。
「生き続けるのは大変じゃない?」と、死んだ友人は尋ねる。
「まあね」とふたりは笑う。「でも、幸せだから」
そう答え、灯りを消し、寝床にふたりして入る。
「幸せかい?」
「幸せよ。あなたは?」
「幸せさ」
 そして、ふたりはそれぞれの夢の中に落ちていく。

No.363


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