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さよなら、サウダージ

 一代で財を成し、手に入れられないものは無いほどまでになったのに、妻をめとることもせず、子を作りもしなかったのは、結局のところ、彼が誰も信じていなかったことの証左であり、またそれこそが彼の立身出世の原動力だったのかもしれない。彼は誰も信じず、周りの人間を手駒としてしか見なかった。それは彼が富を貯えるための手駒である。
 彼は孤独であったと評価するのは容易い。
 しかしながら、その真実がどのようなものであったのかは計り知れない。彼が表舞台に姿を現すことはまれで、本人が何を考えているのかは誰一人として知らなかった。あるいは、彼本人に直接尋ねたところで満足のいく回答は得られないかもしれない。もしかしたら、彼自身も自分が孤独かどうかわからなかったかもしれない。
 自己とは常に最も遠い他者なのだ。
 彼は自分の命が長くないと悟った時、その莫大な財産をどうすべきなのかを考えた。遺すべき親類はいない。家政婦にくれてやるなど言語道断だ。犬も猫も嫌いだから、ペットも飼っていない。ペットに財産を遺すなど狂気の沙汰だが、それをやった資産家も過去にはいたのだが、彼はそんな真似はしたくなかったし、するつもりもなかった。寄付?金が必要なら自分で稼げ。
 彼はその莫大な財産を使うことにした。とはいえ、それは使い切れないほどの富である。使い切ろうと蕩尽しても、人生が何度あっても足りない。尋常の考え方では。
 彼は自分が何を欲したのかを考えた。富。富自体。他には?しばらく何も思い付かなかった。実際、彼はそれ以外の何物も求めなかった。富のために富を求めた。それは何かのための過程ではなく、純粋な目標だったのだ。何かを得るために金を稼ぐのではなく、金を稼ぐこと自体が目的であり、それ以外の何も彼は持たなかった。
 そこで、彼は町を作ることにした。それまでも様々な事業をやってきた彼だ。鉄道を敷き、その沿線に街を作ったこともあった。人々は彼がまた町を作り、そこを売るのだろうと考えた。人々を魅了するような、今までに誰も見たことのないような町を。
 建設は着々と進んだ。彼は自ら足を運び、陣頭指揮を執った。ごく些細な点までこだわりをみせ、手すり一つ、ネジ一つまで妥協をしなかった。
 そして出来上がった町は、みすぼらしく、古めかしいものであった。人々はその町を嘲笑った。こんな町になど誰も住みたがらないと笑った。それは何十年も前の、世の中が貧しい時代の町並みと似ていた。少し違うのは、そのどれをとっても、寸法がとても大きいということだ。その出来上がった町の椅子に腰掛けると、大人でも床に足が着くか着かないか、まるで子供が大人用の椅子に座ったかのようになってしまう。ドアノブの位置も高い。牛乳瓶も大きくて抱えるようにしなければ飲めない。その町の中にいると、まるで自分が子どもになってしまったかのような錯覚にとらわれるのだった。
 結局、その町のどの物件も売りに出されることはなかった。それは誰も買わないからではなく、それを作った彼がそのどれ一つも売ろうとしなかったからだ。
 彼はその町で一日中過ごした。何をするでもなく、ぶらぶらと歩き回って過ごした。誰も何のためにその町を作ったのか彼に尋ねなかった。だから、誰もその意味をしらない。
 町の建設にはそれなりの金額がかかったが、彼の財産を使い尽くすには至らなかった。彼はその残った財産を自分の死後には燃やし捨てることを指示して死んだ。彼の周りで働いていた人間たちは、その財産から少し抜き出して懐に収めてから残りを燃やした。彼の作った町もまた燃やされ、今は残っていない。


No.291

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