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誰かがわたしを呪ってる

 なんだか気分のすぐれない日が続いた。微熱があって、ちょっと気怠くて、じゃあ仕事を休むかと言えばそれほどでもない。なんとも厄介な感じだ。それが全く改善するような気配が無かったから、病院に行って調べてもらうことにした。
「どこにも異常はありませんね」というのがお医者さんの診断だった。こんな診断のために血を抜かれたり、あれやこれや検査を受けたのかと思うと少しがっかりしたけれど、じゃあどんな結果なら満足だったのかと聞かれても答えようがない。
「でも」と、わたしはおずおずと言った。「ずっと熱があって、すごくだるいんです」少し大げさに言った。微熱だし、なんだか気怠いなあ、くらいで、本当はそんなに大騒ぎすることじゃないのかもしれない。とはいえ、大騒ぎしないとちゃんと取り合ってもらえないだろうし、それほど大騒ぎでもない。ほんのちょっと、話を盛っただけだ。それもほんのちょっと。
「うーん」と、お医者さんは顎を手で撫でながら考えた。「おそらく」
「おそらく」
「あくまでも個人的な見解ですよ」
「個人的、はい」
「これは、呪いではないかと」
「ノロイ?」わたしはとっさに漢字変換ができなかった。なにかそういうウイルスや、病気があるのかと思ったのだ。ノロイ、ノロイ、呪い、呪いか。
「あの」と、わたしは自分の脳内で行われた変換に確信が持てずに、恐る恐る尋ねた。「呪いって、呪いですか?怨霊とか、そういう呪い?」
「怨霊なんて大それたものじゃあないですよ」と、お医者さんは笑った。「もっと簡単な、ちょっとしたものだと思います」
「呪いに大それたとか、簡単なとか、そんなのあるんですか?」
「なんだってそうでしょう?」と、お医者さんは肩をすくめた。
 わたしは疑いの目でお医者さんを見詰めた。からかわれているのかもしれない。わたしを騙して面白がっているのかもしれない。疑いの目で見る。疑わしいように思える。なにしろ、相手は医者なのだ。それこそ科学の信奉者であるべきだろう。その医者の口から「呪い」って。それを信じる方が難しい。
「趣味なんですよ」と、わたしの疑いの視線に気づいてお医者さんは肩をすくめた。「呪いとか、怪奇現象とか、そういうものを調べることが」
「でも、そんな非科学的な」
「では」と、お医者さんは薬のカプセルをつまんで見せた。「あなたはこの薬が効くことを説明できますか?コンピュータが動く原理を説明できますか?」
「それと呪いと、どんな関係があるんですか?」わたしは首を傾げた。
「我々は、じつは物事の原理をほとんど知らない。呪いだって、存在しうるのかもしれない」
 家に帰って、夫にそのことを話すと「呪いかあ」と、唸った。「それは大変だね」
「大変って」と、わたしは少し驚いた。「信じるの?呪いなんて」
「わからないけど、そういうこともあるのかもしれない」と、夫。
「あるかな?」と、わたし。
「さあ、どうだろうね」
 夫は自分のことでないからどうでもいいと思っているに違いない。わたしはちょっと腹が立った。
「なに?」と、夫はわたしの視線に気づいて「ぼくじゃないよ」
「なにが?」
「呪ってるの」
「こないだゴミ出し忘れたので怒ったし」
「そんなことで呪いません」
「じゃあ、どんなことなら呪うの?」
 夫は肩をすくめて行ってしまった。確かに、夫の性格なら誰かを呪ったりしないだろう。怒ったところを見たことがないし、なにか恨みみたいなものを引きずることも無い。少なくとも、表面上では。どちらかというと、そういうのはわたしの方だ。イヤなことがあるといつまでたっても忘れられないし、すごく根に持つタイプだ。
 夫と話していて、わたしは重要なことに気づいた。
「誰かがわたしを呪ってる」
 この世界のどこかに、わたしを憎んでいる誰かがいるのだ。もちろん、呪いなんてものがあるとして。その誰かの恨みが、わたしに降りかかる。呪いとして。そんなことある?あるかもしれない。誰にも恨まれていないなんて、誰も胸を張って言えるはずがないだろう。心当たりは、無い。無いからと言って、誰にも恨まれていないということにはならない。もしかしたら、誰かに恨まれているのかもしれない。わたしの知らないどこかで。そう思うと、人と接することがとても怖いことのように思えた。隣の部屋にいる夫、会社の人たち、街にいる人全員、世界中の人たち。そういう網の目が、わたしをがんじがらめにしている。全員が、わたしを見ている。わたしに恨むべき点があるのではないかと、血眼になって探している。わたしは沼にずぶずぶと沈んでいく。
 ありきたりな悪夢を見た。寝汗でパジャマが濡れていた。なんだかとてもすっきりしていて、熱っぽさも、気怠さも消えてなくなっていた。カーテンの隙間から朝日が差し込んでいる。
 窓を開き、朝の空気をいっぱいに吸い込み、思いっきり体を伸ばした。
 呪いなんて、無い。たぶん。


No.466


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