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牛のような男

 その男は牛のようであった。遠目に見ればその巨躯と動作が牛のようなのだが、その目である。牛の目である。愚鈍で、濁った目。男を見た者の印象はその目に集約される。
「ああ、あの目の男ね」と人は言うだろう。
 男は寒村の出であった。猫の額ほどの土地を持った自作農の倅である。両親が歳をとってから授かったたった一人の息子であった。土地は全て男のものになるはずであったのだが、政変があり、政府が変わって土地は取り上げられることになった。農民たちは抗議したが、政府は聞く耳持たなかった。
 そうして土地を追われ、しばらくすると父が死に、それを追うように母が死んだ。男は天涯孤独になった。その上財産らしい財産もない。同じ村の者もたいして変わらない境遇である。もちろん男を助ける余裕など期待できるはずもない。それは愚鈍な男でも理解のできることであった。男は都市へと向かった。そこになら、仕事があると聞いたからだ。
 産業革命の時代、過渡期でない時などないとしても、ちっぽけな人間にとってそれは激動の時代としか映らない。男にとってもそうである。どうにか工場に雇われた男だが、労働環境は劣悪であった。一昼夜勤務することはざらであった。疲労困憊で行う作業には事故が付き物で、同僚が大怪我をすることは一度や二度ではなかったし、人死にも出た。それでも工場は止まらなかった。止まることは敗北を意味したからだ。誰にとって?資本家たちにとってだ。
 その水は男には合わなかった。日の出とともに起き、日の入りとともに寝る、というのは大袈裟にしても、それまで慣れ親しんだものと、そこでの生活は何もかもが違っていたからだ。とはいえ、男の愚鈍はそこでは男の助けとなる。愚鈍ゆえに、家畜のように働かせられることに疑問は持たないのだ。誰かがけしかけでもしない限り。
 組合は、わざわざ男に興味を持ったわけではない。誰にでも、とはいえ、裏切ることの無さそうな者に限られるが、働く者誰にでも声をかけていたのだ。男は組合の意味を理解しなかった。男は認識したに過ぎない。その意図ではなく、そこは居場所になりうるということのみを。
 持ち前の愚鈍を発揮し、男は組合のために働いた。そこには意志も思想も無かった。男はただただ言われた通りに働いたまでだ。牛のように。言われるがままに、デモに参加し、シュプレヒコールを上げ、人の壁となった。愚鈍を従順と捉え違った人たちは、男を気に入った。そうなれば男も満更ではない。難題にも応えたくなる。難題に答えれば評価もあがる。その体躯も買われたのだろう、ついには指導者の身辺警護をするまでになった。
 その日の集会も、物々しいものであった。大勢の警官たちが、会場を取り囲んでいた。彼らは警備にあたっていたわけではない。少しでも怪しい動きを見せれば、参加者を捕縛するためである。怪しい動きには、大声や拍手まで含まれる場合すらある。集会は当局に睨まれていたのだ。
 指導者が演台に向かっていく。男は舞台袖でそれを見ている。演説を男が理解することはない。しかし、男は指導者に視線を向け続ける。ただ、見つめ続ける。
 舞台下で、何かが光った気がした。舞台に人が飛び上がる足音、青年、いや少年か。その手には降り注ぐ照明に煌めく短刀。男は咄嗟に飛び出した。
 少年は短刀の扱いをしっかりと叩き込まれていたらしく、過たずに急所を刺し抜いた。ただ、それが指導者のものではなかっただけだ。彼が身を挺した理由はわからない。なにかあったときにはそうするように言われていたが、男はいざと言うときには怖気づくだろうと思っていた。なにか、魔が差したのかもしれない。
 こうして、その牛の目をした男は、その目を閉じた。


No.579


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