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翼をあたえる

 男は天才的な科学者であった。いや、天才であると断言すべきだろう。様々な分野でその才能をいかんなく発揮し、幾多の発見発明をものしてきた。とはいえ、天才であっても世渡りはからっきし、あるいは天才だからこそのなのか、人付き合いが苦手で、誤解を生みやすく、それを取り戻すだけの力もないわけで、そうなると彼にとって人の世はとかく生きづらい。ついには無人島をひとつ買い取り、俗世を離れてそこでひとり暮らすことにした。
 彼の隠遁を惜しむ人もいたが、それ以上に彼の去ることを喜ぶものが多かった。そういうことだ。
 さて、その無人島についた当の男は晴れ晴れとしていた。もう面倒な人付き合いをしなくていいのだ。目の前には手つかずの無人島がある。
「ここをわたし好みの楽園にしよう」男はそう決意した。
 そして、持てる知識と技術をすべてつぎ込み、島の生物を創造したのだった。遺伝子工学をはじめ、ありとあらゆる手段を使った。出来上がったのはこの世のものとも思えないような生き物たち。美しく飛ぶ蝶、心震わせる歌声で鳴く鳥、透き通った海で踊るように泳ぐ熱帯魚たち。甘い果実をつける樹、一粒から何万何十万の収穫が得られる穀物。男はその天才的な頭脳で楽園を創ったのだ。
 島のすべての生物を作り出した男であったが、その中でもとりわけ気に入った生き物がいた。それは自然には存在しない生物種で、完全に男の独走に基づいて作られた、この世にただ一匹の生き物である。それいついて語るのはなんとも難しい。美しい毛並み、美女のそれのような肢体、吸い込まれそうになるほど深い目、見れば見るほどその姿のとりこになる。蠱惑的な仕草で誘惑してくる。その生き物は獣ではあるが、人語を解すほど知能も高かった。
 男はその美しい生き物を愛でた。それが欲しいと望むものがあればなんでも与えた。果実も、穀物も。他の生き物の肉ですら。男はそのために肉をとるための生き物を作りまでした。男は自分の手で作り出したその美しい生き物の歓心を買いたかったのだ。
 ある日、その生き物は言った。「わたし、翼が欲しいの」
 男は難色を示した。翼を与えてしまったら、その生き物は島から飛び去ってしまうかもしれない。
「大丈夫。わたしはいつまでもあなたと一緒にいるから。翼が欲しいのは、空を舞ってあなたを喜ばせたいの」
 そうして泣きつかれたものだから、男は情にほだされてその生き物に翼を与えてしまった。すると、その生き物は笑いながら空を舞い、男はその姿に感動した。そして、手を差し伸べ、その生き物を抱き締めようとした。しかし、その生き物は地上に戻って来なかった。羽ばたきながら空中に留まり、困ったような表情で男を見ていたかと思うと、翼を強く打ち、空の彼方へと飛び去ってしまった。
「そんなことだろうと思ったさ」男は呟いた。

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