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新しい彼女たちの発見

 彼は言った。「やっと見つけた」
 彼女は言った。「見つけたって、ずっとここにいたけど」
 ふたりの言ったことはどちらも間違ってはいなかった。彼にとって、彼女はその瞬間に発見されたのであり、彼女にとっては彼女はそれまでもずっとそこにいたのであり、発見されるまでもなくそこにいたのだ。もしも少しだけ正確さを求めるのならば、彼が少し傲慢だったということになるだろう。害の無い程度の、誰もが持つ傲慢さ。しかしながら、それが誰かを傷つけることもあるのだけれど、それは別の話だ。
 彼女は言った。「でも、もう行かないと」
「行くって」と、彼は言った。「どこに」
「どこでも」と、彼女は言った。「わたしが行った場所が行った場所」
「じゃあ、ここにいればいい」と、彼は言った。彼は彼女に留まってほしかった。ようやく見つけた彼女である。そうやすやすと失えるものではない。なにしろ、彼は人畜無害な傲慢さの持ち主なのだ。
「いや、行くことに決めたから」と、彼女は言った。彼女もまた傲慢だった。もちろん、それは人畜無害な傲慢さだ。誰もが持つ傲慢さ。
「でも」と、彼は言った。「まだ真夜中だ。夜道は危ないよ。夜明けを待った方がいい」
 彼女は考えた。彼の提案には一理あった。夜盗が出るかもしれない。犯され、殺されるかもしれないし、ただ殺されるかもしれない。殺されるその瞬間を想像し、彼女は身震いした。それが恐怖からなのか、喜悦からなのか、彼女自身にもわからなかった。多くの自分の身のうちに湧き上がる感情と同じように。
「わかった」と、彼女は言った。「でも、夜が明けたらすぐに出発するから」それは端的に言って宣言であり、相談や、報告、連絡といった雰囲気は皆無だった。彼女がそう宣言したのなら、そうするのだろう。
「ああ」と、彼は言った。「そうするといい」
 彼がなぜこんなに簡単に引き下がったかと言えば、それはそれなりの魂胆があったからであり、それがなければ、彼はそう口にできない程度に狭量な人間だった。
 彼は太陽と月を謀って、夜明けの来ないようにしたのだった。
「太陽は君を恋しがっているよ」と月に吹き込み、太陽には「月は君を愛しているのだよ」と。そうして、太陽と月は彼らの役目を忘れさせて、どこかに雲隠れさせたのだ。彼らはどこかで逢い引きしているに違いない。明けない夜、未明の未明。朝は来ない。
 彼女は朝が来るのを心待ちにし、それのなかなかやって来ないのに焦れて、イライラしだした。
「いったいいつになったら夜は明けるの?」
「明けない夜はないさ」と、彼は言って、そっと彼女の肩を抱く。「待ち焦がれるから来ないのさ。さあ、なにかに夢中になっていれば、きっとあっという間に朝になる」そうして抱きしめようとするのを、彼女は両腕に力をいっぱいに込めて押し返す。
「待つ」と、彼女は言った。「ただ待つ。なにかに夢中になんてならない」それを聞いて、彼は肩をすくめた。まあ、いい。時間はいくらでもあるのだ。そうして、彼女は夜明けを待ち、彼は彼女の待ちくたびれるのを待った。永遠に等しい時間が流れた。
 一羽のカラスがいた。このカラスもまた、朝を待っていた。朝に出されるゴミをついばみたいと思っていたのだ。もう空腹も限界だ。そこで、世界中を飛び回り、太陽を探した。世界中をくまなく探して、ついにカラスは月と同衾している太陽を見つけた。カラスはその周りで騒ぎに騒いだが、太陽が目を覚ます気配はなかった。そこで、カラスは鶏のところに飛んで行った。鶏は朝日が昇らないのでまだ眠っていた。カラスがどんなに揺さぶってもちっとも目を覚ましそうにない。そこで、カラスは腹ペコの腹の底から声を出して鳴いた。空気を震わすほどの大きな声だった。それに驚いた鶏は、けたたましい鶏鳴を上げ、太陽が目を覚ました。
「ああ、なんてことをしたんだ。わたしとしたことが、夜明けを忘れていた」
 そうして、太陽は慌ただしく支度をし、水平線から顔を覗かした。遅刻をしたものだから、その頬を真っ赤に染めて。
「あ」と、彼女は声を漏らした。「夜明けだ。ほら、夜明けだよ」
「ああ」と、彼は言った。「夜明けだね」そして、肩を落とした。
 彼女は言った。「さようなら」
 彼は言った。「さようなら」
「あなたはまた」と、彼女は言った。「きっと新しい誰かを見つけるんでしょ?」
「そうだね」と、彼は言った。「たぶん、そうだろう。新しい彼女たちを、きっと発見するんだろう」
「でも、彼女たちはそこにずっといたんだからね」と、彼女は言った。
 そして、彼女は去り、太陽は空で燃えていた。

No.401


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