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宇宙の食事

 宇宙ステーションと地上の管制室との間では濃密なコミュニケーションがとられている。宇宙飛行士たちの体調について、計器類の不具合、予定されている実験の進捗状況、地上での出来事、宇宙飛行士たちの家族からのメッセージ、誕生日のお祝いがあったりもする。宇宙ステーションでの生活は実に窮屈なものだ。無重力下での宇宙酔いに苦しみ、排便に手間取り、数人の同じ顔と毎日毎日その見飽きた顔を突き合わせなければならない。選抜された宇宙飛行士たちでさえ、大きなストレスを感じざるを得ない。その中でも、宇宙飛行士たちが口々に不満を言うのは食事についてであった。
「なあ」と宇宙飛行士が管制室に対して言う。何万キロメートルも離れていても伝わる不機嫌。「もうこんな食べ物には飽きたよ」そう言って振って見せるのはチューブに入った宇宙食だ。「おれが食べたいのはハンバーガー風味の歯磨き粉じゃない。ハンバーガーなんだ」
「歯磨き粉じゃない」と管制官は肩をすくめる。電波に乗って飛んでいく困惑。「ちゃんとハンバーガーの味がするはずだ。それに、栄養素も完璧に計算されている。満腹感だってあるだろう」
「確かにそうだが」と宇宙飛行士。「こんなチューブをチューチュー吸うなんてごめんだ。ハンバーガーは吸うものじゃない。かぶりつくものだ」
管制官はため息が電波に乗らないようにマイクを押さえた。
「こうして我々は研究をすることになったわけだ」と新人に語るのは宇宙食の開発をするチームのリーダーである。「もちろん、すぐにチューブを吸うのは卒業したよ。しかしね、人間の欲望は際限がない。少し改善されれば更なるものを求める。ハンバーガーが食べられたら、ステーキが食べたくなる」
「ステーキですか?」
「実際、そんなリクエストもあったよ。しかしね、宇宙空間でステーキなんて焼けないよ。それに、そんなに様々な食材を持って行くなんて不可能だ。打ち上げにどれだけのお金がかかっているかしっているかね?そんなものを持っていかせるなら、研究器材を載せるよ」そう言いながら、リーダーは皿の上に置かれた白い塊を差し出した。「そこで、我々の作ったのがこれだ」
新人はそれを恐る恐るつまみ上げた。「なんです、これは?」
「食べてごらん」
 新人はそれを口に入れると、すぐさま吐き出した。「これまでの人生で食べたどんなものより不味いです。こんなものを宇宙食に?」
 リーダーは何か装置を操作した。「もう一度食べてごらん」
「いやですよ」新人は首を横に激しく振った。
「騙されたと思って。ほら」
 新人はもう一度それを口に運んだ。それを噛んだ瞬間に表情が一変する。「ステーキだ。味も、食感も、匂いだってする。いや、見た目もステーキだ。いつの間にすり替えたんです?」
「いや」とリーダーは首をゆっくりと振った。「取り替えてなんかいない。さっき君が食べたものと同じものだ」
「でも、全然違います。これはステーキだ」
「ステーキだ、と君の脳が思い込んでいるんだ」
「どういうことです?」
「これには人体に無害なナノマシンが含まれていてね。それが君の脳に働きかけるんだ。まるでこれがステーキであるかのように。いいかい、重要なのは、それがステーキであることではない。それがステーキであると脳が思うことだ。認識しているのは脳なのだから。脳がそう認識すれば、それはステーキなんだ。これが我々の出した最終解答なんだよ。つまり、脳に働きかける。それで様々なメニューを作る。実際には食べられたものじゃあないが、栄養素は満点だ。君はタンパク質を摂るためにステーキを食べたりしないだろ?ステーキの味、食感、匂いのためにステーキを食べる。それが感じられれば、誰も文句は言わない」
「でも、それは幸せでしょうか?やっぱり、本物のステーキを食べる方法を考えた方がいいのでは?」
「幸せ?」とリーダーは片眉を上げた。「では、それを君の脳に感じさせてみようか」


No.241

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