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女の子と男の子

 列車の中にはそのふたりしかいなかった。女の子と男の子が、寄り添うように座っている。車窓の外は夜の闇、深い闇だ。列車は川をまたぐ鉄橋を駆け抜けて行く。車内を硬い金属音が満たす。川面で街灯の明かりがゆらめいた。遠くに見える高層ビルの頭の辺りで、赤い光が明滅していた。集合住宅が見えて、その一部屋一部屋の明かりを見、そこに家庭の温かさのあることを思う。夕食の匂い、団らん、笑い声。もちろん、そんな幸福な家族ばかりではないだろうけれど、遠くから見ると世界はおおむね幸福そうに見えた。おおむね。
 女の子は、男の子の肩に頭をのせて眠っていた。もたれかかり、体を預けている。男の子は、その左耳で女の子の寝息を聞いていた。規則正しいリズムのそれを聞きながら、男の子は命についての抽象的な思考を巡らしたりした。若い頃にはとかく考えがちの抽象的思考だ。たぶん、それはガムみたいなもので、ある程度まで噛んで、味がしなくなったら吐いて捨てられるのだろう。そんなものだ。そして、男の子はしばらくぼんやりとそんなことを考えて、疲れると自分の肩にかかる重さに、実感を覚えたりした。抽象的ではなくて、コンクリートみたいに確かな実感、重み。
 カーブに差し掛かり、電車が揺れた。吊革が右へ左へと一斉に踊る。まるで息を合わせたかのように。
 女の子はまだ眠っていた。
 男の子は、自分の肩が枕では女の子は頭が痛いのではないかと心配した。自分の骨ばった肩。少なくとも、寝心地がよさそうには思えない。男の子は、首を少し動かし、女の子の様子を窺う。女の子を無理に起こさせないように、かつ彼女の様子が見れるように。女の子はぐっすり眠っているように見えた。閉じられたまぶた、睫毛、鼻梁、唇、そこから漏れ出る息。
 男の子は自分の肩の骨を思った。自分の、全身の骨を思った。自分がいずれ死を迎え、真っ白なそれが露になる時を思った。そして、自分の肩に触れている、女の子の頭蓋骨を思い、その美しいまでに精妙な曲線を思った。こんなに精巧なものが存在するなんて、奇跡にちがいない。もちろん、男の子が美しいと思うのは生きた女の子の、肉と皮膚で覆われた頭蓋に他ならないのだけれど。
 列車が減速し、駅に着き、ドアが開いた。プラットホームには誰もいない。誰ひとりいない。ドアは誰かが乗り込んでいるのを待っているように見えた。外気が車内に吹き込んでくる。発車チャイムが響き、ドアはとても残念そうに閉まった。女の子は目を覚まさなかった。ドアが閉まると、列車がのっそりと動き始める。女の子は、まだ眠っている。
 男の子は、自分の肩にのった女の子の頭に耳をつけた。もしかしたら、女の子が考えていることが、こうして耳を当てれば聞こえるかもしれないとでもいうみたいに。もちろん、そんなものは聞こえなかった。
「君は何を思っているの?」男の子は呟いた。
 女の子は眠っていた。
「ぼくらはどこに行くんだろう?」
 女の子は眠っていて、なにも答えない。
「この先でぼくらを待っているのは、幸福かな?それとも不幸?」
 女の子は眠っていて、なにも答えない。
 そうしていつの間にか、その体勢のまま、男の子も眠ってしまっていた。
 身を寄せあうふたりを乗せ、列車はひた走った。夜の世界を、レールを軋ませながら。どこまでも、どこまでも。


No.457


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