ハードボイルドガール
日付が変わり、二十歳になった夜、彼女は決意した。これからの人生、二度と感傷に浸るまい、と。
「つまるところ」と彼女は自分自身に語りかけた。「人生は自分がどれだけタフなのかを調べる耐久テストなんだ」
彼女はそれまでの少なからずの年月でそれを学んだと信じていた。もしかしたら、そんな時間は吹けば飛ぶような些細な時間に過ぎないと思われようとも、彼女にとってはそれだけが現実であり、それがまさに真理だったのだ。
翌日から、彼女は変わった。それが誰の目にも明らかだったかどうかはわからない。少なくとも、半熟のゆでたまごは許さなかったし、コーヒーはブラックで飲むようになった。
「できることなら」と彼女は誰かに言った。「煙草も吸いたいところだけど、吸ってみたら気持ちが悪くなっちゃったから諦めたの」
「ふかすだけにでもしてみれば?」
「まさか、そんな真似はできないわ」
何が起きても彼女は動じなかった。道で捨て猫を見ても、急な雨に濡らされても、深いため息を吹きかけられても。
「やれやれ」と肩をそびやかしてやり過ごすだけ。
そうして何年かが過ぎて、彼女は自分の決意したことがすでに自分の身体に馴染み、生まれつきの痣のように確固たるものになったのを感じた。それは心地よい瞬間でもあった。自分がやっていたことが、一つの形を得たと思えたからだ。もう彼女は感傷に浸らないようにしようと思う必要がなくなった。
そしてまた何年かが過ぎた真夜中、彼女の両目から理由のわからない涙が溢れ始めた。それにも彼女は動じなかった。涙の流れるに任せ、それはいつまでたっても止まらず、明け方になってようやく、まるで枯れてしまったから仕方なく、といった風に止まった。
彼女は泣きはらした顔を鏡で見ながら、「やれやれ」と呟いた。
次の夜も、彼女の両目からは涙が溢れ、止まらなくなった。
その次の夜も、そのまた次の夜も。
彼女は次第に苛立ちが抑えられなくなった。何しろ夜通し涙が流れるわけで、ろくに眠ることができない。
「なんだっていうのよ!」彼女は鏡の中の自分に問いかけた。「どういうつもり?わたしはなにも悲しくなんかない」
「強がりはやめなよ」鏡の中彼女は言った。「わかってるくせに」
彼女は鏡を叩き割って、顔を両手で覆って声を上げて泣いた。
「誰もわたしの気持ちなんてわからないくせに」
鏡の破片が彼女の膝を傷付け、真っ赤な血が流れた。
「だからわかってほしいとも思わないだけなのに」
朝まで泣き続け、それから一週間熱を出して寝込んだ。熱にうなされながら、彼女はそんな不甲斐ない自分を呪った。
一週間後の熱の引いた朝、彼女は大きなあくびをして、それまでの自分を思い出して腹を抱えて笑った。ひとしきり笑うと、カーテンを開き、窓を開け、朝の空気を胸一杯吸い込んだ。
No.286
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