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抱擁と暴力

 一大事がやって来ました。
 一大事は巨体です。それは天を衝くように大きくて、見上げていると首が痛くなるくらい。山と勘違いする人がいるくらいの大きさです。それはそうでしょう。だって、一大事ですもの。もし小さかったら、一大事なんて名乗らせないで、一小事、せいぜい一中事と名乗ってもらわなければならないでしょう。
 一大事はその巨体には似つかわしくない敏捷さで、音もなくやって来ました。人々が驚いたのは言うまでもありません。そして、その巨体に相応しい一吹きで人々を脅かしました。大きく息を吸い込んだかと思うと、それを人々めがけて吹きかけたのです。これまでに誰も経験をしたことのないような大風が巻き起こりました。何もかもがなぎ倒され、吹き飛ばされてしまいました。家も、畑も、何もかも。残されたのは何もかもを失った人々だけでした。
 まさかそんなことになるとは露とも思っていなかった人々は、慌てふためき、言葉を失いました。言葉と言う言葉が死んでしまったのです。人々は口をパクパクさせるだけで、そこから言葉は出てきません。言葉は死んでしまったから。死んだ言葉たちは、かけらになって風に飛ばされ、空を舞いました。すべての死んだ言葉たちは空を埋め尽くさんばかり、それは筆舌しがたい美しさでした。
 さて、言葉をなくした人々は困りました。他人に何かを伝える術がないのですから当然です。ああ、もちろん手話も吹き飛ばされました。すべての言葉が失われました。
 仕方がないので、人々は身体を使って意思を伝えることにしました。身振り手振りで。手足をバタバタさせながら、とにかく動き続け、なにかが伝わったように思える時もありましたが、しかし、それだって上手くいく時ばかりとは限りません。むしろ、上手くいかないことの方が多いくらい。
 自分の意思が上手く伝わらないと、人々はひどく苛立ちました。なぜ自分の意を汲み取ってくれないかと、身振り手振りで相手をなじりました。それさえも正しく伝わらないこともしばしばでした。
 そうなると、もう辛抱できません。意思が伝わらなかった方は、意思を読み取れなかった方に殴りかかりました。この意味はすぐさま相手に伝わりました。わかりますよね?しかし、その意思が伝わったところで、殴りかかられている事実に変わりはないわけで、そのまま指をくわえていたらぼこぼこにされてしまいます。そこで応戦するのです。
 いたるところで殴りあいが行われました。老いも若きも、男も女も。皆いつも青アザを作っていました。世界は暴力で満ちました。
 ところが、ある日、なんの拍子か、誰かが誰かを抱き締めました。もしかしたら、羽交い絞めにして、それから何か暴力的な行いをすることを考えていたのかもしれません。その抱きしめた人が何を考えていたのかはどこにも記録されていないのです。だって、言葉はすべて死んでしまっていますから。とにかく、抱きしめられた人は何かを感じ、暴力や憎悪は消え失せました。この抱擁の意味もたちまち伝わったのです。人々はその新たな「言葉」も使うようになりました。そして、世界は均衡を取り戻しました。
 春が来ると、新芽が芽吹くのと同時に、新しい言葉が芽を出しました。死んだように見えた言葉たちは、しっかり種を蒔いていたのです。人々は再び言葉を使えるのを喜びました。
 めでたしめでたし、といきたいところですが、そうはいきませんでした。なぜかというと、今まで抱擁で伝えていたこと、暴力で伝えていたことが、言葉では上手く伝わらなかったからです。抱擁と暴力は気づかないうちに力強い根を張っていたようです。
 だから、新しい言葉とともに、それらは今も生き残っているのです。

No.347

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