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世界終わるってよ

「世界終わるってよ」と、友人が言った。
「えっ?」と、言って、ぼくは絶句した。
 友人が言った世界とは世界のことじゃない。この世界、学校とか、塾とか、地球とか、そういう世界じゃない。それは駅前のゲームセンターのことで、なんとかワールドってのがホントの名前だったけど、ぼくらは「世界」と呼んでいた。
 いや、もしかしたら、そこはぼくらにとっての世界だったのかもしれない。ぼくと友人はそこに入りびたっていた。ぼくらのおこづかいはすべてそこに捧げられていたし、カツアゲから身を護る術や、もめごとから距離を取る方法を学んだ。ヒマそうなおじいさんがいて、仕事をサボってるサラリーマンがいて、つまんなそうな顔をしたおばさんがいて、不良ぶってる高校生がいて、そして、ぼくらがいた。そこは世界だった。世界の縮小版というにはちょっとかたよりがあるに違いないけど、ぼくが学校と家で見る以外のなにかがそこにはあった。
 きっと、そういうのを眺めにそこに通っていたんだと思う。家に帰ればちゃんとテレビゲームはあったし、スマホでだってゲームはできる。ゲームをやるためだけにわざわざそこに行く必要なんてなかったのだから。
「ホントだ」ぼくは世界の店先に貼られた営業終了のお知らせを見ながらまた言葉を失った。ちょうど、ぼくらの夏休みの終わりと同時に、世界は終わる。
「諸事情ってなんだよな」と、友人は憤りのこもった口調で吐き捨てた。営業終了は諸事情による。諸事情により、諸事情は諸事情なんだろう。ぼくらが憤っても、泣いても叫んでも、その事実は変わらないのだ。だいたいそんなのはいつも大人の事情で、ぼくらにはどうしようもないところにそれはあって、そうしてぼくらの大切なものはなくなっていく。つまるところ、世界が終わるとはそういうことなのに違いない。
 ぼくは世界の自動ドアの前に立った。ゆっくりそれが開く。ゲームセンターの匂い。「清潔です」と主張するような匂い。そう主張すれば主張するほどいかがわしさを感じてしまうような匂い。
「おい」と、友人はぼくのうしろで呼びかける。「塾は?」
 ぼくはそれを無視してツカツカと歩いていく。店内にいるのはいつもの面々、言葉を交わしたことなんてないし、会釈もしないけど、顔はわかる。たぶん向こうもそうだろう。チカチカ光って、ガチャガチャ音を立てる筐体のあいだを抜けて、ぼくは世界の一番奥まで行く。
 そこに鎮座するのは、オンボロで誰もお金を入れない筐体、いつ他のゲームと入れ替えられてもおかしくないゲーム。たぶん、ぼくがお金を入れなければ、即刻そこを立ち退かされているであろうゲームだ。
「なにしてんだよ」友人がうしろで言う。「塾、間に合わないぜ」
 ぼくは財布を取り出し、椅子に座り、お金を投入する。聞き慣れたゲームの開始音、ダサい音楽、古臭いビジュアル、はっきり言って、ゲームバランスもよくない。あまりに強い敵がいて、奇跡が起きないとクリアできないんじゃないかと思うくらいだ。
 ぼくはそのゲームにこだわっていた。なにがぼくを惹きつけるのかはわからない。クソみたいなゲームだと思う。それでもお金を投入してしまう。
 友人は呆れていたけど、ぼくはお構いなしにゲームを始める。
「オレ、塾行くよ」と、友人は行ってしまった。ぼくは適当に返事をして、ゲームに集中する。
 それからというもの、ぼくは世界に通い詰めた。それまで以上にだ。起きている時間のすべてをそこで過ごしていたと言ってもいいと思う。もちろん、親にはナイショだ。バレれば激怒されるに違いない。まあ、それも時間の問題かもしれない。塾をサボり続けていれば、親に連絡が行くだろう。怒られるのはいい。とにかく、ゲームをクリアしたい。もしも世界が終わってしまったら、そのゲームをクリアする機会は二度と訪れないだろう。きっと、他のゲームセンターには置いていないだろうから。
 着実に残された時間は減っていく。焦りは募る。減っていくのは時間だけではない。ぼくの所持金も確実に減っていく。とっておいたお年玉も全部溶かした。それでもクリアできない。
 そして、ついに最後の日が来てしまった。
 夏休み最終日であり、世界が終わる日。
 その日もぼくは世界に行こうとしていた。家を出ようとしたとき、母さんに呼び止められた。口調がすでに怒ってる。
「あんた塾サボってるでしょ? 夏休みの宿題も全然やってないんじゃない? いったい毎日なにしてるの? あ、コラ!」
 ぼくは全速力で走り出した。ここで捕まるわけにはいかない。世界を目指して一目散だ。
 息を切らしながら、ぼくはゲームの前に腰をおろした。呼吸を整える。いける気がする。お金を投入する。ゲームの開始音、ぼくは目を閉じる。音楽が流れ始めた。目を開く。
 すべてが完璧だった。ゾーンに入るって、たぶんこんな感じなんだろうな、なんて思っていた。すべてが思う通り進んだ。そして、いつもぼくの挑戦を阻んでいた敵も打ち倒した。そこまでいけばあっという間だった。ラスボスも楽勝、ついに、ぼくはそのゲームをクリアしたのだ。なんだかすべてがあっけなかった。もっと感動するかと思っていたけど、別にそんなことなかった。達成感みたいのを感じると思ってたけど、それもない。終わったな、と思っただけだ。終わった。終わった。ホッとしたわけでもない。ただ、終わったな、と思った。
 でも、それでたぶんよかったんだ。
 それからはひどい日々が始まる。世界が終わったのもあるけど、塾をサボり続けたことや、夏休みの宿題を全然やっていなかったからだ。まあ、そんなことを語っても面白くないから語らない。思い出してくもないし。



No.990

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