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平らな世界

 あの世の地面はまっ平らだ。どこまでも途切れることなく、果てしなく続くまっ平らな大地。それは無限の広さをもつと言われている。球体であるという噂も無くはない。しかしながら、今のところそれが球体であると証明した者はいない。もしかしたら、凄まじく巨大な、無限と勘違いさせるくらいの、球体である可能性も否定できない。それを証明するために必要とされるような機材や器具があの世には無い。
 どこまで遠く離れても、地平線に隠れることがないところを見ると、まっ平らなのだろう、と言われている。そこが球体であれば、充分な距離はなれれば、その対象は地平線に隠れるはずだ。そのため、あの世はまっ平らなのだと考えられる。しかし、もしかしたら、まっ平らではないのかもしれない。まっ平らでないことを証明したものもいないのだ。まっ平らであることを証明したものもいない。そもそもあの世が本当にあるという証明をした者もいない。そこへの入り口は一方通行だからだ。
 人々は死ぬと一方通行の通路を抜けてそこへやって来る。そこに至るまで、門番なり番所なりがあるわけでもない。ただの通路だ。
 死んだ人々は生きている時とたいして変わらない。腹は減るし、眠たくもなる。不意に悲しくなることもあれば、震えるほどの怒りを覚えることもある。欲望から自由になることもなければ、なにも感じなくなることもない。違う点は死んでいる点くらいのものだ。多かれ少なかれ、死の直後、あの世にやって来たばかりの頃にはこれまでの人生を顧みて、悔い改めよう、なんて思ったりする者もいるが、そんなことができるなら生きている間にいくらでも悔い改める機会はあったわけで、そういうものは死んでも治らない。残念ながら。生きていた頃の悪癖は死んでも治らない。そういうものだ。
 死んだ人々は毎日次々やって来る。人は日々死んでいる。どんどん死んでいる。それはとくに由々しき事態ではない。疫病や戦争で多くの人が命を落とすこともあるが、そうでなくても日々、人は死んでいる。人は死ぬものだからだ。だから、あの世にはどんどん人がやって来る。しかし、あの世は無限の広さ、少なくとも無限と思えるくらいの広さ、をもっているので、定員オーバーになんてならないし、ギュウギュウ詰めで立錐の余地もない、なんてことにもならない。みんなのびのびと暮らせる。それに充分な空間があの世にはある。
 あの世には人々がそれぞれのびのびと暮らせるだけの土地があるはずなのだが、不思議なことに人々は互いに争い、土地の領有権を主張しあう。土地に線を引き、ここからここまでは自分のものだと主張する。生きている頃の癖が抜けないのだろう、とも思われるが、真相はわからない。もしかしたら、それは人間の本性に近い可能性も否定できない。土地を切り分け、それを自分のものだと主張するという本性。とにかく、人々は無限の大地を切り分け、奪い合っている。猫の額ほどの土地でも決して譲ろうとはしない。
 争いでは死人が出ることもある。銃や刃物はあの世にはないが、そんなものが無くても人は人を殺す。まるでそれが本性ででもあるかのように。小競り合いなどではなく、戦闘、悪い場合戦争のようになることすらある。利害関係があり、動員がある。序列があり、力関係がある。まるでそれが人の本性であるかのように。
 あの世で死んだらどうなるのか、それは誰にもわからない。生きている時、死んだらどうなるのか誰もわからないのと同じように。あの世においても、それは一方通行の道なのだ。おそらく、あの世で死んだらあの世のあの世へ行くのだろう。あの世のあの世はどんなところなのだろう?それはわからない。そういうものだ。
 あの世の人々は自分たちは生きている頃に罪を犯したのだろうと考えている。善人たちはきっともっといいところにいるのだ。そう、天国と呼ばれる場所に。自分たちは悪人であり、自分たちがそこにいるのはそれゆえの責め苦なのだと、そう人々は考えている。争いの絶えない自分たちのいる場所は地獄に違いない。少なくとも、そこは地獄のような場所である。人々はそう考えている。


No.527


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