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わたしたちは愛を知らない

 彼女のことを人に話すとき、わたしが彼女のことを「姉」と言うのは、ただなんとなくその方がわたしにとってしっくりくるからというだけで、実際のところ、わたしと彼女は双子であり、生年月日はまったく一緒、現実として産声を上げたのはせいぜい数十分の差でしかないだろうし、それだってわたしと彼女のどっちが先にこの世に出て来たのか、正直なところわからない。わたしたちは一卵性双生児で、姿かたちはまったく一緒、親でも見分けはつかなくて、産んだ母でさえどちらが先に生まれたのかわからないのだ。産まれた時にわたしたちにはそれぞれ名前が与えられたわけだけど、ベビーベッドで転がっているうちにどっちがどっちかわからなくなったに違いない。別にそれで問題は無い。わたしがいて、「姉」がいる。薔薇はその名前が薔薇でなくなっても香りは同じ。
 わたしたちはいつも一緒にいた。同じ食べ物を食べて、同じ公園で同じ遊具で遊び、おもちゃと戯れ、同じ髪型をして、お揃いの服を着て、同じ幼稚園に通い、同じ学校に通った。同じ友達と遊び、一緒に旅行に行って、一緒にお風呂に入り、一緒のベッドで眠った。お互いがお互いのコピーみたいに成長して、お互いがお互いのコピーみたいだな、ってお互い思いながら育った。そして、大人になった。
 大人になったわたしたちは、次第にいつも一緒でなくなった。わたしはわたしの日々を生き、彼女は彼女の日々を生きた。わたしはわたしの髪型をして、彼女は彼女の髪型をした。わたしはわたしの服を着て、彼女は彼女の職場に通った。まるでまったく別々の人間みたいに。すごく普通のこと。わたしと彼女はまったく別々の人間、それは最初から。誰もがみんなそれぞれの日々を過ごす。わたしも、彼女も。そして夢を見たり、挫折したり、笑ったり泣いたり、恋をしたりした。これもすごく普通のこと。わたしの恋、そして彼女の恋。
 彼女はいつも悪い男に恋をした。威圧的で、すぐに手が出る男、調子ばかりよくていつも嘘ばかりつく男、優しくて誰にでも優しくて彼女以外にも優しい男。ありとあらゆる悪い男。彼女の恋した男のリストと、悪い男の一覧はほとんど一致するんじゃないかと思うくらい、彼女は悪い男ばかりに恋をした。もちろん、それは個人の自由だけれど。そう、個人の自由。別の人間であるわたしがどうこう言うべきことじゃない。それでも、姿かたちがわたしと同じ彼女が悪い男にいいようにやられるのはなんだかいい気持ちはしない。わたしは一度だけ、それについて彼女と話したことがある。
「どうして悪い男とばかり付き合うの?」と、わたし。
「悪い男?」と、彼女。わたしと同じ声。「悪い男って?」
「あなたが付き合う男の人たち。みんな悪い男ばかり。誰も、あなたのことを愛していない男たち」
 彼女は鼻で笑うみたいに、自嘲するみたいに、笑った。「だって」
「だって?」
「騙されるとわかっていれば、騙されても傷ついたりしないでしょ?」
「バカみたい」
「そうね」
 わたしたちは黙り込んだ。別に、もうそれ以上話すこともなかったんだと思う。しばらくそうしていて、彼女が口を開いた。
「愛って、なにか知ってる?」
「愛?」
「そう、愛」
「知らない」わたしは少し考えてからそう答えた。たぶん、それを知ろうとしたこともない。たぶん、知ろうとすれば、傷を負うことになるだろうから。
「わたしも」と、彼女は言った。
「バカみたい」
「そうね」そう言って、わたしたちは笑い合った。クスクスと、小鳥がさえずるみたいに。
 わたしたちは愛を知らない。それがわたしたちを傷つけるだろうことだけは知っているから。
 
No.308

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