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彼女たちは愛を知らない

 巫女たちは子どもをもうけることを禁じられていたのだが、彼女はその禁を破ったのだった。禁は、表向きとしては神の声を聴くには処女でなければならないことが理由にされていた。巫女たちは託宣をもたらす存在であった。神の声が聴こえなくてはその任に当たれない。人々は巫女たちの予言は全て神からのお告げと信じていたのだ。
 しかし、その実、それは神の声などではなく、彼女たち自身が持つ予知能力によって、予言や託宣がなされていたのだ。このことは彼女たち以外誰も知らない。なぜそれを秘密にしなければならなかったのか、それはわからない。あまりに長い間、そうして受け継がれてきたことだから。もしかしたら、予知能力を持つということが露見すると、少々困ったことが起きたのかもしれない。それを覆い隠すために、神の声が偽装されたのかもしれない。
「あなたは」と巫女の長は彼女に言った。「放逐されねばなりません」
「はい」と彼女は答えた。その眼差しは長を真っ直ぐに見据えていた。そこには迷いはなかった。
「わたしたちの力のことは口外しないこと」
 彼女は頷いた。
「あなたは本当に馬鹿な真似をしたけれど、わたしたちの秘密を口外するほど馬鹿な子ではないと、わたしたちはわかっています」
「こうなることは」と彼女は言った。「わかっていたんじゃありませんか?だって、みんな予知能力があるのだから」
「それを言うなら」と巫女の長は言った。「あなただって、そうでしょう」
 だいたいにおいて、巫女たちは悲しまない。悲しむための感情を捨てることが、巫女になる最初のステップなのだ。未来を見ることに慣れるためには、悲しみは大きな障害になるからだ。破局を見据え、それを最小限に食い止めるために、彼女たちは存在する。たとえ破局が訪れるとしても、最小限になど留められないにしても。大抵の場合、予知ができたところで、危機を回避することはできなかった。運命の力は圧倒的で、彼女たちの細い腕では太刀打ちなどできないのだ。
 こうして彼女は巫女でなくなった。そうして、十月十日が過ぎていった。
 息む声が聞こえるだろう。彼女が陣痛の苦悶に耐え、子を産もうと必死になっているのだ。産婆たちが彼女を励ます。玉の汗が額に浮かぶ。日が昇るように、子供は産まれた。羊膜から出て、産声を上げたそれを、彼女は乳房の間に置いた。そして、濡れそぼったそれを見詰める。愛おしい我が子。彼女はそれを慈しむように、しかし、壊れてしまうのではないかと怖々と、そっと撫でた。その瞬間、彼女は理解した。なぜ子を産むことが禁じられていたのか。彼女の胸の上で泣き声を上げているのは死であった。生命の讃歌を高らかと歌っていたとしても、それは死であった。彼女の予知能力は、その子の死を端的に理解させたのだ。それはさほど近い未来のことではない。いや、まだまだずいぶん先のことである。彼女が死に、その先に起こることである。しかし、それはまぎれもなく死である。その子は生き、そして、死ぬ。間違いなく死ぬ。愛おしい我が子は確実に死ぬのだ。彼女は、それを想像としてではなく、現実として理解せざるを得なかった。なぜなら、彼女の予知能力はそれをまざまざと見せつけたからだ。
 彼女は涙を流した。遠い将来、老いさらばえ死んだ我が子のために。


No.498


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