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お嬢様はとても心優しいかたでございます

 お嬢様はとても心優しい方でございます。たまに癇癪を起こして、たとえば、子猫に手を引っ掛かれたというので捨てさせたりするような、そうした子供らしい残酷さを持っていたりもしますが、それはお嬢様がまだ年若いからであって、先日も学校から帰って来るなり私めをお呼び止めなさってこうおっしゃったのです。
「世界にどれだけ多くの恵まれない人がいるのか知ってる?」
 私めには学が無いのでとんとわからない旨をお伝えしました。すると、お嬢様はこうおっしゃったのです。
「わたし、学校で勉強したの。ご飯が食べられなくて死んでしまう子供がいるのよ」
「さようでございますか」
「さようでございますか、って、可哀想じゃないの?」
「そうですね、とても悲しいことでございます」
「わたし、決めたの」とお嬢様はおっしゃいました。「恵まれない人達を助けに行くわ」
 言い出したら聞かないお嬢様でございます。そんな企みがご主人様に露見したらどんなことになるやら。ご主人様はお嬢様をそんなところには絶対に行かせはしないでしょう。ご主人様も言い出したら聞かない方でございます。お二人とも頑固でございますから、よくそうやって言い争いをなさっていたものです。しかしながら、お嬢様の望みを叶えて差し上げたいという思いが、私めにはございます。なにしろ、たいていのそれは純粋なもので、特に今回のそれはお嬢様自身の成長を表しているものであり、かつ更なる成長を促すような、とびきり純粋なもののように思えたからでございます。そこで、私めは一計を案じたのでございます。ちょうど夏期休暇でしたので、ご友人達とご旅行に行かれる、ということにして、私めも口裏を合わせることにしたのでございます。ご主人様はおそらく、旅行に行った証拠の提出を求められることでしょうが、そこは合成写真でも作れば済む話です。かくして、お嬢様は準備万端、貧しい人々の元へと旅立ったのでございます。
 そして、お嬢様はすぐに帰ってらっしゃいました。本来なら、一月ほどの予定だったものが、一週間も経たないうちに。
 お嬢様は開口一番こうおっしゃいました。「あんな奴ら救う必要ないわ」
 お嬢様はとてもご立腹の様子でございました。
「あんな奴らとは?」
「『貧しい人々』よ。ねえ、知ってる。あいつら歯を磨かないから息がとても臭いし、お風呂にも入らないし、シャワーも浴びないから汗臭いし汚れだらけだし、洗濯もしないから着ているものも汚くて臭くて、手ですら洗わないから爪の間が黒く汚れていて、わたし食べ物を差し出したんだけど、びっくりして気持ち悪いから手渡すことができなくて落としちゃうくらいだったし、ちゃんとしたマナーが無いからとっても無作法な食べ方をするし、常識が無いから並んで順番を待つなんてこともできないし、誰かに何かをしてもらっても感謝をすることもしないの。本当に信じられない。あんな奴ら、人間じゃないわ。救う必要なんてない」
 お嬢様はそうおっしゃると、「あの汚い空気に触れた体を清める」と長いことお風呂にお入りになり、出てくるとすぐにお休みになられました。そうして、普段の生活、夜毎のパーティーや、そこで交わされる気の利いた会話、ルールに沿ったいさかい、ヨットで遊びに出ること、乗馬、ショッピングに帰っていらしたのです。
 私はホッと胸を撫で下ろしました。お嬢様はやはりとても心優しい方なのでございます。

No.246

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