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花の名

 商店街の福引きで鉢植えが当たった。四等だ。
「これ、なんて花ですか?」と福引きの係をしていた少年に尋ねたが、首を傾げるばかり。
「すいません、ぼく、パン屋で働いているもので」
 話を聞くと、福引きの係は商店街の店の店員たちが持ち回りでやっているらしく、今日はあいにく花屋の店員はいないらしい。
「すいません」 と少年は申し訳なさそうに謝った。
「いや、今度パンが当たったら、その名前を聞くから」
「あの、うちはサービス券を出しているだけなので」と五等を指差した。 そこにはパン屋で使えるサービス券があった。
「じゃあ、もちろん育て方もわからないよね?」
 パン屋の店員は肩をすくめた。それはそうだろう。パンの作り方ならわかっても、花の育て方はわからないだろう。彼はパン屋の店員なのだ。
 家に帰ると、鉢植えを窓辺に置いた。 そこが家の中で一番日当たりが良さそうだったからだ。
「なんて花?」妻がやって来て尋ねた。
「さあ」と肩をすくめて見せる。
「どんな植物かわからないんじゃ、育て方もわからなくて困るんじゃない?」
 というわけで、家中をひっかきまわして植物図鑑を探したが見付からなかった。
「そもそもそんなもの、うちには無かったのかも」
「そうかもしれない」
 おそらくそうなのだろう。二人とも植物になど興味が無いのだ。そんなものがあるはずがない。動物図鑑も魚類図鑑も恐竜図鑑も無い。果たして、二人はなんに興味があるのだろう。実に興味深い。
 植物についてはよくわからないまま、とにかく水をやろうということになった。植物であれば、日光と水が必要にちがいないと考えたからだ。
「光合成」
「学校で習った」
 もちろん、じょうろなど無いから、コップに水を入れ、それでやることにした。
「嬉しそうだね」
「そう?」
 こうして、生まれて初めて植物に水をやってみると、なんだかそれが無性にいとおしくなった。 いや、もしかしたら小学生の頃に朝顔やひまわりを育てたことがあるかもしれないが、まったく思い出が無い。おそらくその程度の関心しかなかったのだろう。しかし、今回は違う。
「ちょっと、また水をやってるの?」
「水をやらないと」
「さっきやったばかりじゃない。あげ過ぎも良くないんじゃないかしら?」
「そうかな?」
「うーん、たぶん」妻も自信は無さげだ。妻もまた、植物には興味が無いのだ。
 その数日後、鉢植えを見ると、花が萎れ枯れてしまっていた。そのことを友人に話すと「水のやりすぎで根腐れを起こしたんじゃないかな?」ということだった。
「やりすぎも駄目なのか」
「適切な量があるんだよ」
 なんだか悔しかったので、帰りに同じ鉢植えを買うことにした。花屋に行って、同じ鉢植えを探す。簡単に見つかった。代金を払おうと、店員を探す。ついでに何という花かを尋ねてみよう、と思ったが、店にいたのはパン屋の少年だった。
「ちょっとの間だけって、店番を頼まれたんです」
「この花はなんて花かはわからないよね?」
 少年は申し訳なさそうに首を横に振った。  それはそうだ、彼はパン屋の店員であり、パンのことはわかるが花のことはわからないのだ。
 家に帰り、鉢植えを窓辺に置く。
「また当たったの?」
「買ってきたんだ」
 妻は肩をすくめた。
 前回の反省を踏まえ、今度は水をあまりやらないようにしようと思った。水をやたくて仕方ないが、我慢をした。
「水は?」
「あまりやりすぎると良くない」
「でも、土がカラカラよ」
 その数日後、鉢植えの花は枯れていた。もう鉢植えは買わないことにした。どうせ枯れてしまうし、そもそも花になんて興味が無いのだ。






No.165

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