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ワールズエンドスーパーノヴァ

 ずっと、波の音がしていた。ぼくと彼がそこにたどり着いたのは真夜中だったし、ぼくらの乗った車のヘッドライトいがいに明かりなんて無くて真っ暗闇だったから、海は見えなかったけど、ずっと波の音がしていた。海の果てから風が吹いて来ていた。
 ぼくと彼は土を掘っていた。車のヘッドライトだけを頼りに。一心不乱にと言っていいだろう。シャベルの切っ先が土に突き刺さる。土の湿った重さを感じる。それを放り投げる。その繰り返し。単調な繰り返し。単調な繰り返しを繰り返すと、その繰り返しが快感にすら思えてくる。シャベルの柄を握る手のひらはマメができ、それが破れて血を流している。けれど、まったく痛みは感じない。血で手が滑るのが不快なだけだ。土に突き刺し、それを放り投げる。いつまでそれを続けるつもりなのか、自分でもわからない。彼もそうだろう。地面に穿たれた穴は少しずつだけれど確実に深くなる。疲れも感じない。何も感じない。
 あるいは、それは何か脳内麻薬のようなものが分泌されているせいなのかもしれない。痛みも疲れも感じなくなるような何か。あまりにも衝撃的な出来事のせいで、ぼくの脳はそうした状態になっていたのかもしれない。
 ぼくは人を殺した。
 世界は終わり、すべて消し飛んだ。
 世界には悪人と善人がいて、悪人が善人を殺すものだと思っていたけれど、実際はそう単純なものではないのかもしれない。殺される人間には殺されるなりの理由があり、殺す人間にもそれなりの理由があるのかもしれない。やめよう。ぼくは人殺しであり、悪人だ。
 世界は終わった。人を殺したことのないぼくのいた世界は失われ、いまぼくは人殺しのぼくの世界にいる。どんなに後悔しようとも、それは間違いなく車の中に存在し、どんなに深く穴を掘り、その底に埋めようとも、たとえそれが目には見えなくなっても、それが消え失せるわけではない。
 空が白みはじめ、ぼくと彼のどちらからともなく掘るのをやめた。荒い息の音。自分が、そして彼が、そんなに激しく呼吸していたことにそのとき初めて気がついた。
 波の音がしていた。
 ぼくらは車の中からそれを引きずり出した。それは現実的な重量を持ち、穴の底に放り落とすと現実的な音を立てた。打ち所が悪ければ死んでしまうくらい、穴は深かったがその心配はない。それはもう死んでいるからだ。ぼくらが殺した。
 そして、今度は掘り返した土を穴の中に放り込んでいく。一体なんのためにこんなことをしているのか、ふと疑問に思う。穴を掘り、そしてそれを埋めるなんて、賽の河原で石を積み上げるみたいな徒労だ、と一瞬思った。それの上に土が降り注ぎ、あっという間に見えなくなった。
 穴がすべて埋まると、ぼくらは朝焼けの空の下、その場にへたり込んだ。立っていられないくらいにクタクタだった。両腕は自分のものではないかのように感覚がない。立ち上がれないまま、朝日がスルスルと昇っていくのを眺めていた。
「なあ」と、しばらくすると彼が口を開いた。「子どもの頃の夢ってなんだった?文集に書くみたいなやつ」
「獣医」
「野球選手」
「野球やってたっけ?」
「いや」
「人殺しとは書かなかった」
 波の音がする。風の音がする。
「これからどうする?」これは禁断の質問だった。ふたり揃って黙り込んだ。どうする?どうしようもない。もうすべては終わってしまったんだ。そのことを、ぼくも彼も理解していた。もしも司直の手を逃れ、裁きを受けずに済んだとしようと、それはもう起こってしまったことなのだ。ぼくは人殺しであり、彼もまた人殺しなのだ。また逆に、進んで裁きを受け、罰が下されようとも、その罪は消えないだろう。その実感があった。人を殺したぼくは人を殺したことのないぼくとは別物であり、それは二度と元には戻らない。
「帰るか」
「終わっちゃったな」
「でも、生きてる」
「それだけだ」
「眠いな」
「クタクタだ」
「運転できる?」
「事故るかもな」
「悪くない」
 波の音がしていた。朝日が昇っていっていた。絶望の中で、希望を探していた。

No.262

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