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象泥棒

 ぼくが象を盗むにいたったいきさつを話そう。あまり面白くもないかもしれないけれど、他のぼくについての話は輪をかけて面白くない。これがぼくの出せる最も面白い話なのだ。
 それは友人からの相談に始まる。彼はぼくと同じ劇団に所属する男で、まあ、劇団員の常として、ぼくも彼もほとんどお金が無く、いつもお腹を空かせているような人種であった。それなのにも関わらず、酒は切れることなく飲んでいたのだから不思議なものだ。どこかに酒の湧き出す泉でもあったのだろうか。まあ、いい。
 そんな彼に恋人ができた。良家のお嬢さんだと言う。どう考えても不釣り合いだ。もちろん、彼女の親には反対をされていたそうだが、障害が多い方が燃えるのが恋、二人は燃え上がり、ついには結婚を考えるまでにいたった。当然、交際ですら反対をしていた彼女の親が許すはずがない。
「条件が出されたんだ」と友人。
「どんな?」とぼく。
「象を盗んで来いって」
「え?」とぼく。「なんだって?」ぼくは自分の耳を疑った。疑うに十分のことが友人の口から出たのだから仕方がない。
「象だよ。象。象を盗むんだ」
「像って、なんの像?」
「その像じゃない。象だよ。動物の象」
「動物の象って、あの大きな象?」
「ああ、あの象だよ」そう言うと、友人は首を横に振った。
「鼻の長い」
「そう、鼻の長い」
「耳が大きい」
「そうだよ。それだ、その象だよ。その象の、生きたのを盗むんだ」
「そんなの無理だろう」
「ぼくらみたいな奴じゃね」と友人はため息をつく。
「できる奴もいるってのかい?」
「彼女の父親なら」と友人は頬杖をつく。「できるだろうね。もちろん、買い取ることだってできるだろうが、そうじゃなくて、本当に盗んでみせると思うよ。そんな人なんだ。なんでもできちゃうんだよ」
 ぼくは象を盗める男を父に持つ女性を想像してみた。まったく想像ができなかった。象を盗むことのできるような人間とはどんな人間なのだろう。
「とにかく体力があって、精力的なんだよ。不可能はないんじゃないかって思う。いや、たぶん本当に不可能なんてないんだろうな」友人は肩を落としながら言った。
「でも、君とそのガールフレンドの仲を裂くことはできてない」と、ぼくは慰めたけれど、それが慰めになるのかどうかはわからなかった。もしかしたら、それも時間の問題なのかもしれない。
 しかしながら、ぼくはどうにか友人を助けてやりたいと思った。ふたりが結婚をして、幸せになれるかどうかはわからない。そこはぼくは赤の他人だから、とても無責任になれる。目の前にいる友人と、その恋人が、ぼくの目の前でだけでも幸せになるのならそれでいいのだ。十年後、二十年後のことなんてお構い無しだ。
「手伝うよ」とぼくは申し出た。
「何か名案でもあるかい?」
「うん、まあ任せておいてよ」
 とは言ったものの、本当はなんの案も無かった。目の前にいる友人を安心させたい一心で口をついて出ただけだ。これはぼくの悪い癖で、その場その場を取り繕うとしてあとで困ったことになる。そして、それはこの時もそうだった。
「まずは下見に行こう」と、ぼくは言った。
 次の日、ぼくらは動物園にいた。平日の動物園は閑散としていた。数少ない来場者であるぼくらを、入り口の係員は少し訝しむような眼で見た。もしかしたら、いい年をした若い男ふたりが平日の真昼間から動物園に入ってはいけないという法律でもあるのかもしれない。ぼくは法律について何も知らない。友人にしてもそうだろう。
 とはいえ、檻の中の動物たちはそんなことどうでもよさそうだった。むしろ客の少ない方が願ったりかなったりなのかもしれない。ジロジロと視線にさらされ続けるのなんてきっと耐え難いだろう。
 ぼくらは缶ビールを片手に、ふらふらと檻の間を歩いて行った。そんなぼくらを、ワオキツネザルや、オーロックスや、ワラビーが不思議そうに見ている。なんだかぼくらの姿を見せに来たみたいだった。
 そして、ついに、象のいる場所についた。象はとても大きかった。それ以前、最後に象を見たのはいつだったのだろう。たぶん子どもの頃だ。たぶん親に動物園に連れて行ってもらったことがあったと思う。たぶん、その時も、象の大きさに圧倒されたに違いない。象はとても大きくて、とてもではないが盗めそうになかった。
「で」と、友人は声を潜めて言った。「どう盗むんだ?」
 ぼくは黙っていた。答えが無かったからだ。むしろ、これは無理だろうと諦め始めていた。できることならば、その象の圧倒的大きさに、友人も諦めてくれればいいものをと思ってすらいた。ぼくは仕方なく、しきりに唸ったりしながら、「ちょっと作戦を練り直そう」とかなんとか言って、動物園を後にすることにした。そして、ふたりで居酒屋に行き、ああでもないこうでもない議論するふりをした。ふりだ。象を盗むなんて不可能だ。そんなこと言わなかったけれど。
 その後、その友人とは会わなくなった。彼が劇団に顔を出さなくなったというのもあるかもしれないが、ぼくも無意識に彼を避けていたのかもしれない。もし会えば、象をどう盗むのか質されるにちがいないのだから。
 それからしばらくして、彼が駆け落ちをしたということを風の噂で聞いた。確かに、その方が象を盗むよりは簡単だろう。彼らが幸せになったのかどうか、ぼくはしらない。
 結局、ぼくは象を盗まなかった。


No.386


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