見出し画像

思いやりあふれる世界

 強い風の吹いた翌日、世界はちょっとした混乱をきたした。鉄道のダイヤに乱れが出たのもそうだし、風で飛ばされた看板に当たって怪我人があったのもそうだ。高速道路でトラックの横転する事故があったし、強風にあおられて転んだ人は沢山いた。中には骨を折った人もいた。ベランダに置いてあった鉢植えが落ちてぐちゃぐちゃになったし、外に干してあった洗濯物はみんな飛ばされてしまった。人々はその後片付けに追われた。交通機関もほとんどがマヒしていたから、仕事に行こうにも行けなかった。もちろん、これだけでも大事ではあった。しかし、人々はその時まだ本当の異変には気付いていなかった。  
 その異変に最初に気付いたのは医者たちである。彼らの患者の中に、身体的に見ればすでに死んでしまっているはずなのに、ピンピンして歩き回っている者が現れたのだ。それは奇跡だと誰もが口々に言った。医学的に見てありえない、と医者たちは叫んだ。ところが、至るところに医学的に見てありえない奇跡があふれていることに、じきに医者たちは気付いた。同じようなケースが次から次へと報告されたのだ。奇跡も大量にあればありきたりである。
 また、それと同時に、身体的にはなんの問題もないのにも関わらず、死んでしまったようになった人々が病院に運ばれて来るようになった。身体のどこにも悪いところはない、正常だ。それにも関わらず、呼吸をせず、心臓は止まる。医者たちは手を尽くしたが、快方へ向かうことはなかった。
 医者たちはこの異常事態に集まってこの問題について話し合った。身体的に問題のある者が元気で、身体的には問題の無い者が死んだようになってしまう。集まったところで答えはでなかった。実際のところ、一つの答えのようなものが彼らの中にはあったのだが、彼らの科学的な思考は、それを受け入れることを拒否していた。しかし、いくら受け入れがたくても、それ以外の答えがないのならば、それが答えなのだ。
「こんな言葉は使いたくはないのだが」と医者の一人は言った。「どうやら人々の肉体と魂がごちゃ混ぜ状態になってしまったようだ」魂だって!なんて非科学的な!
 つまり、本来なら同一の場所にあるべき肉体と魂が、強風の影響でこんがらがってしまったのだ。魂が風で飛ばされ、他の肉体に宿ったのだ。そのため、身体的には死んでいても、他の人間の場所にいった魂が生きていれば、その人間は生きているし、逆に、身体的には生きていても、他の人間の場所にいった魂が死んでしまえば、その人間は死んでしまったようになってしまう、ということらしい。
 ここで疑問になるのは、精神とか心とか呼ばれるものについてだ。自分の肉体と他人の肉体が入れ替わった、という訴えをする者はひとりもいなかったのだ。ここで医者たちが魂と呼んだものはあくまでも生命エネルギーの源のようなものであり、それは精神や心、人格といったものとは無関係なのだろう。魂などというものを認めただけでも大きな譲歩であり、その上さらに心などという非科学的なものまで認められるはずがない。
「これはあくまでも仮説に過ぎない」と医者たちは口々に言った。「科学的な実証が必要だ。慎重に」
 しかしながら、この一大事を隠蔽することはできなかった。それはそうだ、世界は大混乱に陥っていて、誰かに説明を求めていた。誰かとは身体についてのスペシャリストである医者たちの他ないだろう。そこで、公に向けて発表することになった。もちろん世間は大混乱に陥った。自分の魂を誰か他人が持っていて、それが死ねば自分は何もしていなくても死んでしまうのだ。
「落ち着いてください」医者たちは言った。「早急に解決策を考えます」そんなものが見付かるのか、医者たち自身にもわからないが。
 さて、この発表の翌日から、世界からは暴力という暴力が消えた。戦争からちょっとしたこずき合いまで。なにしろその相手が自分の魂を持っているかもしれないのだ。そして、それが死んだら、自分が死んでしまうのかもしれない。
 こうして世界は思いやりに包まれた。



No.175

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?