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石女

 夫と離縁させられましたのは、わたくしが石女であったからでございました。
 わたくしどもの夫婦仲自体はとてもよく、仲睦まじいという言葉がふさわしい、自分で言うのもなんですが、理想の夫婦であったと、わたくしは思っております。夫はわたくしのことを慈しんでくれましたし、わたくしも夫のことを深く愛し、尽くさせていただきました。それは実に幸福な日々でございました。必要とされ、また頼るもののあること以上の幸せがございますでしょうか?その時、わたくしは幸福の真っ只中におりました。
 夫は長男でございましたし、わたくしたちにはその結婚当初から子どもの生まれることが望まれていました。家を継ぐ、子どもでございます。もちろん、わたくしもそれを強く望んでいました。ふたりの愛の結晶としての子どもでございます。愛する夫の子を、我が子を抱きたいと思わない女がございましょうか?だから、月のものの来る度にわたくしは深く落ち込み、夫はわたくしを慰めたものでした。
「いずれできるさ」と夫は言うのでございましたが、結局、そのいずれは来なかったのでございます。夫の家の者、特に姑が、「あれは石女だから離縁した方がいいのではないか」と、わたしどもの結婚から三年目頃から盛んに言うようになったのでございます。そして、なすすべもなく、わたくしどもはその仲を割かれたのでございます。深く愛し合ったふたりであっても、家の力には逆らいようがございませんでした。
 それでも、夫を愛するわたくしの気持ちに変わりはございません。恨むような気持ちはございません。仕方のないこと。いえ、子を生めなかったわたくしの責任なのだと、そう観念することにいたしました。
 そうして、出戻りとなったわたくしの月のものが止まったのは、離縁させられてから一年ほどの過ぎたころでございました。わたくしは命を授かったことを確信いたしました。それも、愛する夫の、その胤によってでございます。一年間の間、それはわたくしの腹の中でその時を待っていたのだと、わたくしは思いました。日に日にわたくしの腹は膨らみ、そして、わたくしは夢にまで見た我が子を、愛する夫との我が子を、この腕に抱くことができたのでございます。それは夢のようでございました。白磁のように澄んだ白い肌が、泣き出すことで真っ赤に染まるのはまるで奇跡のようでございました。夕焼けを飽かず見詰める子どものように、わたくしは腕の中のその小さな命を見つめ続けたのでございます。わたくしの乳首を探し、乳房に顔を埋める様を、それに吸い付き、力強く吸われると、背中に心地よい痺れを感じたものでございます。
 わたくしはこの事を夫に伝えねばならないと思い、わたくしを追い出した家に向かったのでございます。もしかしたら、これでわたくしはその家に、夫のもとに戻れるかもしれないという、淡い期待を持ちながら。しかしながら、その期待はあっさりと裏切られるのでございます。門を潜ろうとした瞬間に聞こえてきたのは、赤子の泣き声と、それをあやす夫の声でございました。それで、わたくしはすべてを了解いたしました。
 わたくしはそのまま踵を返したのでございます。道すがら、わたくしは泣くこともしませんでした。それはその時にふさわしくないことに思えたからでございます。そうして、とぼとぼ歩いておりましたが、腕の中の子どもの動かないことに気付き、驚いてわたくしは我が子の顔を見たのでございます。するとなんということでございましょう。白磁のような肌に、赤い醜い出来物があるのでございます。わたくしがそれに指先で触れますと、それと同じものが次々と出来て、あっという間に子どもの顔を、体を覆ってしまったのでございます。悪い病にかかったに違いない。わたくしの胸は早鐘のように打ちました。わたくしがあまりの驚きに我が子を落としてしまうと、それは石榴の潰れるように、ぐちゃりと潰れてしまったのでございます。わたくしは気の狂わんばかりに叫び声を上げ、全てが夢であって欲しいと望みました。悪夢からの目覚めを望みました。
 それは、夢でございました。
 悪夢から目覚めたわたくしは、膨らんだことの無い自分の腹を、乳に張ったことのない乳房を撫で、安堵の息を漏らしたのでございます。


No.578


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