ひみつ

「誰にも言っちゃだめだからね」と彼女は言った。「二人だけのひみつだからね」
 わたしは頷いた。誓約書に署名するみたいに、確実に、丁寧に。誓いを立てる。「神に誓います」。実際はそんなことは口にしない。ただ、そういう思いを込めて頷く。すると彼女は微笑んだ。急に光が差したみたいな、何か祝福されたような、とても印象的な笑顔で。とてもきれいだった。いまでもその微笑みは瞼の裏に焼き付いている。彼女の微笑み。
 わたしたちは校庭の隅の方にいた。男子たちが喚声をあげながらスポーツをしていた。たぶん、サッカーだ。大きな声で指示を出す声、ボールを蹴る音がした。わたしたちは、木陰で話していた。校庭の片隅、誰にも見つからない場所で。そこで、彼女はわたしにひみつを打ち明けた。 そっと、囁くように。すぐに壊れてしまう、ガラス細工を手渡すみたいに。
「ひみつだからね」と言う彼女の表情には、何かわたしを試しているようなものが窺えたような気がする。 「絶対だよ」
「誰にも言わない」とわたしは答えた。 わたしはどんな顔をしていただろう。もしかしたら、微笑んでいたかもしれない。
 ひみつが打ち明けられ、そしてチャイムが鳴り、わたしたちは教室に戻った。
 あれから十数年があっという間に過ぎた。彼女とは進んだ学校が違って、それでたちまち疎遠になった。いま振り返って考えてみると、別にそこまで気が合ったわけではなかったように思う。同じクラスで、席が近かったから、なんとなく喋るようになっただけだったように思う。そのころの、他の友達とは、今でも付き合いが続いている人もいるのだ。
 わたしは彼女のひみつをバラさなかった。別に頑張って口をつぐんでいたわけではないと思う。そんな記憶は一切無いのだ。それに、そのひみつ自体も、大したひみつではなかったのだろう。子供の頃なんてそんなものだ。ほんの些細なことが、世界を揺るがすような重大事かのように思えたりする。
 彼女のひみつとはいったいなんだったのか。わたしはそれを覚えていない。遠い昔のことで、彼女との約束だけが残り、その内容はもう風化し消え去ってしまったみたいだ。彼女はまだ覚えているだろうか。もし、そんなことはないだろうけど、彼女とまた会うことがあったなら、あのひみつを覚えているのか、それが聞きたい。あのひみつを守る約束をしたことを覚えているのか。
  わたしは時々、彼女と再会するのを想像する。きっと、とてもぎこちのない再会だろう。わたしはどぎまぎして、居心地が悪いはずだ。あるいは、それを隠すように取り繕うことができるだろうか。想像の中の彼女は、そんな素振りはまったく見せず、あの時、ひみつを話してくれた時みたいに、確信を持った存在だ。
「ねえ」とわたしの想像の中の彼女はわたしに尋ねる。「あのひみつ、覚えてる?」
「うん」とわたしは答える。「覚えてる」
「誰にも言ってない?」彼女は微笑みながら尋ねる。
「言ってない」わたしは答える。「言ってないよ」
「良かった」彼女はそう言って、安堵の息をつく。「誰にも言っちゃダメだよ」彼女もいまのわたしと同じだけ年を取っているはずなのに、わたしの想像の中の彼女は子どものままだ。
「うん」わたしもまた、想像の中では子どもになっている。「言わないよ。絶対に」
「絶対に」
「うん、絶対に」
 わたしは彼女との約束を破らない。破りたくても破れない。ひみつはずっと、ひみつのままだ。

No.79

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?