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神を殺す

 朝食で相席になることになった相手は神だった。
 出張で泊まったホテルでのことである。ブッフェスタイルの朝食で、客はめいめい好きな席に座って良かったのだが、あいにく、と言っていいのか、修学旅行か何かだろう、学生の一団もそのホテルに泊まっており、食堂はとても込み合っていた。
「ここ、よろしいですか?」
 そうして、わたしは初めて神にあいまみえることになったわけだが、初対面にもかかわらず、一目見た瞬間からわたしにはそれが神であるとわかった。神に神であるのかどうか尋ねるなんて馬鹿げている。映画俳優やロックスターであれば「もしかして」云々、その人物であることを確認し、サインなり握手なり写真撮影となるだろうが、相手は神である。神は神ゆえに神であることを告げなくとも神であることがわかるのだ。なぜなら、それが神だからだ。
「まさかあなたと」と、わたしは神に言った。「一緒に朝食を取れるとは思いませんでした。光栄です」
「まあ、そんなにかしこまらず」神は言った。「せっかくの美味しい朝食ですから、気楽にいこうじゃありませんか」
 正直な話をすると、わたしはあまり神を信じていなかった。教会に最後に行ったのがいつだったか思い出せないし、運を天に任せて祈ることもない。わたしの倫理観、なすべきことなさざることは神の裁きを恐れるゆえではなく、もっと個人的なものだ。自分の中で受け入れられないことはしない、ただそれだけだ。わたしは神にも正直にその話をした。わたしはわざわざそれを誰彼構わず自分の信条を喧伝していたわけではないから、それは神のみぞ知るところだったわけだが、目の前にいるのは神である。神に隠し事などできないだろう。
「そういう方は多いですよ」神は笑った。「でもほら、わたしはこうして実在します。イエティやチュパカブラとは違って」
「イエティやチュパカブラは存在しないんですか?」
「おっと」神は言った。「口が滑りましたね。さあ、どうでしょう。わたしにはなんとも言いかねます」
 神は全知全能である。神がいないと言えばいないのだ。まあ、どうでもいいことだが。わたしはそんな下らない話には興味が無かった。未確認生物には興味が無かった。未確認飛行物体にもだ。超能力にも、死後の世界にも、宇宙の始まりにも、万物理論にも一切興味が無かった。
 わたしの興味を引くのはただ一つ、この人生の意味だ。人生には意味があるのか、どうか。わたしは神にそれを尋ねた。神顎に手をあて、考え込んだ。
「本当のことを言っていいですか?」
「どうぞ」わたしは神を促した。
「ありません」神はキッパリと言った。「あなたに限らず、人類に限らず、全ての生命、それに限らず、全ての存在には、意味などありません」
 わたしは絶句した。
「もしもし、大丈夫ですか?」神はわたしの顔を心配そうに覗き込んだ。
 それはわたしの意志ではなかった。ある意味では反射に近かったのだろう。向こうから何か飛んできたら、咄嗟に身をかわす。頭を守る。それは生きようとする反応、反射だ。
 気付くとわたしは神の首を絞めていた。まるで、神が人間であり、首を絞めれば窒息させることができ、殺すことができると考えているかのように。相手は神である。冷静に考えれば、それで神を殺すことなどできないことはわかりそうなものだ。しかし、その時のわたしは何も考えていなかった。ただ、神を殺そうとしていた。神は微笑んでいた。

No.263

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