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金が物言う世の中じゃ

 彼こそがその世界の創造主であった。と言っても、彼自身が神であったのではない。「光あれ」なんてセリフも口にしていない。
 彼は金銭を崇めた。そして、それこそが世界を動かす唯一無二の原理であり、神なのだと、彼は考え、その考えに従って行動したのだ。金を産み出すために働き、ものを売り、金を使った。あるいは、彼はあくまでも預言者のようなものでしかなかったのかもしれない。金を、貨幣を、資本を神としていただき、その託宣を受ける預言者、巫女。
「金がすべてだ」と、彼はのたまった。それが神の言葉だったのかどうかは定かではない。
 彼が創造したのは、金が物言う世界。
 金のためならば、彼はなんでもやった。金がすべてである。当然だろう。古くて金を稼ぐのに役に立たないようなものは簡単にぶち壊したし、働きの悪い人間はすぐに追い出した。伝統なんてせせら笑ったし、個人の尊厳なんてクソくらえだった。裏切りは日常茶飯事、追い詰め、なぶり殺しにするのになんの良心の呵責も感じなかった。もしかしたら、そんなものはとうに売り払ってしまったのかもしれない。もしかしたら、そんなものは二束三文にもならなかったかもしれないが、売れるものなら彼はなんだって売った。
 人々はそんな彼を非難した。強欲だと罵った。世の中、金以外の価値もあると説いた。友情や、親愛の情、受け継がれてきた文化、先人たちの思い。そんなことを言う人々を、彼は金で買収した。役人も金で買収した。何から何まで金に物を言わせて行った。
 次第に、世の中は金さえあれば何でもできるという風潮になっていった。もちろん、それは彼ひとりで成し遂げたことではないかもしれないが、それは彼の求めた世界だった。
 ところが、その彼の築き上げたものは脆弱でもあった。支えは金だけである。隆盛を極めた彼であったが、彼は神ではなくただの男であった。彼の追随者たちが多くあらわれ、ついには彼を撃ち落としたのだ。
 世界を手にしていた彼は、全てを失った。
「全てってのは、本当に全てだ」と、彼は少年に話した。「全てを手にしていた。そして、それを失った。わかるか?」
 少年は首を傾げた。
 海辺である。海に突き出した崖を遠く眺める。黒々と日焼けした少年は近くの漁村の子供に違いない。
「ここまで来るのにも金がかかる」彼は言った。「電車賃にバス賃だ。本当にやれやれだ」
 少年は黙って彼の話を聞いている。
「知ってるか。あの崖、あの崖の先に行くのにも入場料が取られる。ホント、どうかしてる」
 少年は肩をすくめる。
「全てを失ったおれは」と彼は言った。「ナイフを持っていない。拳銃も、猟銃も。昔なら、世界中のナイフというナイフを買い占められただろうが、今のおれにはその一本ですら手に入れられない」
「その鞄は?」少年は言った。
 彼は持っていた鞄を見た。「これか?」そしてそれを開いて見せた。「空さ。空っぽだ。何も入っていない。これがおれの最後の持ち物だ」そういうと、彼はそれを適当に放り投げた。それは地面にぺしゃっと潰れた。
 少年は黙っていた。
「飛び降りるならタダでできると思ったんだがな」
「あんたみたいな人がたくさん来るからね」と、少年は言った。
「やれやれ」と彼は言った。「お前の持っているその縄をおれにくれないか?ちょうどよさそうだ」
「いくらで?」少年は尋ねた。
「金を取る気か?」
「当たり前でしょ?」
「これでどうだ?」
「安い。ダメだ」
「これなら?」
「オーケー」
 それは崖の入場料よりも少し安い金額だった。
「さては、お前、こうして小遣い稼ぎしてるな?」彼は言った。少年は肩をすくめる。
 彼はあたりを見渡した。手ごろな木が無い。まだ背が低いものばかりだ。
「このあたりに、大きな木は無いか?」
 少年は手を差し出す。
「なんだ?」
「案内料」
「くそったれ!」と、彼は毒づく「死ぬ気も失せるくらいひどい世の中だ」
「そうしたのはあんただろう」と少年は言った。


No.480


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