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わたしに相応しい場所へ

 わたしはここにいるべき人間じゃない、わたしは誰よりもここにいたいと思っていた人間だと思うけれど。わたしはそこにいる時いつもそう思っていた。
 小さい頃から、わたしは必死で勉強した。だって、それが身をたてるための最良の方策だと教わったから。父はわたしにそう教えた。勉強こそが立身出世に最も大事なものであると。父が教えてくれたのはそれだけで、具体的に勉強を教えてもらったことはないけれど。
 父は学の無い人だった。そして父は、自分のうだつの上がらないのは、そのせいだと考えていた。学さえあれば、自分はこんな状況に甘んじてなどいない、そうことあるごとに言った。わたしがその父の言葉を信じていたのか、正直自分でもわからない。ある程度歳を重ねてからは、そんな父を軽蔑していたように思う。結局それは、負け犬の遠吠えにしか聞こえなかった。わたしが勉強に打ち込んだのは、そんな父の元を離れ、全く違った生活様式を手に入れるためだったようにも思う。勉強ができれば、女であろうと、自立して生きていくことができる。学さえあれば。その一点に関しては、わたしは父の言葉を腹の底から信じていた。
 寝る間も惜しんで、わたしは勉強をした。そして、わたしは名門の学校の入学試験に臨んだのだ。それは、わたしの輝かしい未来への階悌の、最初の一段目となるはずだった。
 その試験は、名門の名に恥じない難問揃いだったけど、まるで歯が立たないとまではいかなかった。わたしに解くことのできる問題もあったし、自信の無い問題もあった。五分五分だな、とわたしは思った。
 最後の学科、残り時間はもう無かった。わたしは見直しをして、ある一つの問題で悩んだ。自分の答えが間違っているのではないか、と思ったのだ。何か違和感があった。わたしは直観的に思った。しかし、それが間違っていることはわかっても、正しい答えがわからない。その時である。
 わたしの前で試験を受けていた人の答案の、まさにわたしが頭を悩ませていた問題の解答が、まさにその解答だけが、見えていたのだ。そしてそれは、完璧に正しい答えであることが、わたしにはわかった。わたしが自分の答えを消し、その答えを書いた瞬間に、終了のベルが鳴った。
 それから合格発表の日まで、わたしはまんじりともしないで過ごした。合格していることを祈り、その直後には不合格の想像が頭に浮かび、不安に苛まれた。あのときのわたしほど扱いづらい人間はいなかったのだはないかと思う。励ましてくれる人に、他人事だと思って、と罵り、そっとしておかれればおかれたで、なぜ大丈夫だと励まさないのかと当たった。そして、ついに合格発表の日がやって来た。
 その番号は、まるで吸い込まれるようにわたしの目に飛び込んで来た。わたしは泣いていた。念願叶って、望んでいた学校に入れるのだ。その瞬間のわたしは、喜びで一杯だった。
けれど、ふと目にした、わたしの番号の一つ上の番号を見て思い出した。そこにはわたしの番号と続きになっているはずの番号が無かった。わたしの前の席に座っていたあの人は、不合格だったのだ。そして、わたしは不正をして合格をしたのではないかという思いにかられ始めた。
 父はわたしの合格を涙を流しながら喜んだ。わたしは暗い顔をしていたと思う。そして、喜ぶ父を軽蔑した。
 そうして入った学校でのわたしの生活は散々だった。勉強はそれなりにできた。クラスでも、常に成績上位五人に入っていたのではないかと思う。わたしの不安が、わたしを更なる勉強へ駆り立てたのだ。もしもわたしの成績が悪ければ、あいつは不正をして入学したのではないかと噂が立つのではないかと、それが恐ろしかったのだ。しかし、友人関係はといえば、壊滅的だった。わたしは一人として友人を作れなかった。あの時の試験開場で、わたしが不正をする瞬間を目撃していた人がいたのではないかと、始終ビクビクしていたからだと思う。そんなビクビクしたわたしが、普通の人間関係なんて作れるはずがなかった。わたしは孤独だった。どこかでわたしの悪い噂でも立っているのではないかと不安になっても、友人の一人もいないわたしにはその噂の端緒を掴むこともできない。そうするとまた不安になる。そんな悪循環。
 二年間通うか通わないかという頃に、わたしは学校をやめた。父は激怒した。理由を質した。わたしに言えたのは「わたしはあそこに相応しい人間じゃないから」ということだけだった。
 学校をやめてから、わたしは家を、父の元を離れて、一人で暮らし始めた。父は別に引き留めもしなかった。父の期待を裏切ったわたしなど、父にとってどうでもいい存在だったのだろう。
 わたしはこうして生きていく。わたしに相応しい場所を、わたしのやり方で手に入れて。




No.154

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