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命あっての物種

 みなさんは保険にちゃんと入ってますか?いやいや、別に保険の勧誘じゃないからご安心を。まあ、安心を買うのが保険、人間いつどこで不幸に見舞われるかわかったものじゃない。病気や事故は突然やってくるわけだし、天災だってそう、忘れた頃にやって来るものでございます。だからね、まあこの一番安いのでいいから、って具合にうまい具合に口車に乗ってみるのもいいのかもしれません。たとえ騙されたとしても、人間万事塞翁が馬とはよく言ったもので、どういう目が出るかわかったものじゃない、いや別に保険に入れようとする人間が騙そうとしてるわけじゃあない。
 昔々あるところに、井戸があった。この井戸は別に重要じゃあない。井戸があればその端で会議が始まるのが常、老いも若きも、女ってやつはとにかくお喋り好きときたもんだ。若い娘たちは恋の話に花を咲かせるし、婆さんたちはどこが痛いだのここが悪いだの不調自慢、で、女房たちは銭の話、それも景気の良くない銭の話、亭主たちの悪口を言ってスカッとするわけだ。
「うちの亭主は稼ぎが悪くてねえ」と魚屋の亭主。
「うちだって良かないわよ」と八百屋の女房。
 口々に不満を口にするわけだが、まあギャハハハハと最後は笑い飛ばしちまうから気持ちがいい。
「なんでも」と金物屋の女房。「死んだらお金がもらえるようになるって話があるのよ」
 それを聞いて一同大爆笑。
 笑われた金物屋の女房は悔しくてたまらない。その晩亭主にそれを訴えた。
「で、おれにどうしろってんだい?」
「あんた、死んどくれ!」
「ちょっと待てやい。なんでおれが死ななきゃならねえんだ?」
「死んだらお金がもらえるってのを証明するのよ」
「待て待て待て待て。だから、なんでおれなんでい。おれじゃなくてもいいじゃねえか」
「じゃあ、誰だい?」
「そりゃ、お前だよ」
「あたしゃダメだよ」
「なんででい?」
「あたしがいなきゃ、誰があんたに飯を拵えてやるんだい?」
「まあ、そりゃそうだな」と金物屋は納得したのでございます。
 折り悪くか良くかはわからないが、丁度金物屋も金をすっちまったばかりで懐寒い、そうなりゃ死んで一儲けするしかないわけだ。
 こうして夫婦二人して旦那の死に方を考えることになった。
「痛い痛い痛い」
「ちょっと黙ってくんな。狙いがくるっちまうじゃないか」
「刺さってる刺さってるよ」
「何言ってんのよ。刺してんじゃない」
「やめだやめだ」
「お金はどうなるんだい」
「知ったこったい」
 そこで外から人の騒ぐ音が聴こえてきた。
 魚屋の亭主がぶっ倒れている。
「どうしてい?」と金物屋。
「馬に蹴られたんでい」
「なんてこった。良いやつだったのに、めでたくなっちまった」
「で」と金物屋の女房。「この人は死んじまったから、お金がもらえるのかね?」
「馬鹿なやつだ、こいつを見ろよ。死んじまったら金は使えねえ、命あってのものだねだ」と金物屋。
「あんたが死んでお金をもらったら」と女房。「あたしが代わりに使ってあげるわ」
 お後がよろしいようで。
 チャチャン、

No.312

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