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LOVE

 街から愛が姿を消した。昔はいたるところにいたはずなのに、いまはどこをさがしてもいない。人々はある日そのことに気づいた。いつから愛がいないのかはわからない。常にそこにあるものだと誰もが思っていたものだから、まったくそれに注意を払っていなかったのだ。かつては、街中のちょっとした暗がりや、昼下がりの公園、朝の海辺など、それは実にありきたりで、ありがたくもなんともないもの、あるいは、人によってはちょっと目障りで迷惑なものですらあったというのに、それが、ふと気付いてみるととんと見かけない。いたとしてもそれは見せかけだけの愛ばかり。たいていそれは悪い毒があるか、鋭い牙を持っている。
 これだけ愛を見かけないのは、愛が絶滅してしまったからにちがいない、と人々は口々に言った。環境汚染が原因だとか、政権の失策が理由だとか、ひとりひとりの心の持ちようが良くないからだとか、様々な仮説が林立し、互いに争った。仮説はあくまでも仮説である。どれも根拠を欠き、愛が見当たらないことを説明することはできていなかった。いや、そんなことはない、絶滅などしていない、という説もあった。どこそこで見た、という目撃証言が出て反論がなされたりもした。ただ単に隠れているだけで、絶滅はしていないという説もあった。これもまた仮説である。仮説はあくまでも仮説だ。真相ははっきりしない。
 そこで、調査団が組織され、愛が捜索されることになった。調査団は世界各地を巡り、隅々まで愛を探した。手当たり次第である。
 なぜそんな手あたり次第などという、非効率的な探し方をしたかというと、人々は愛の性質を知らず、本物のそれがどういう場所を好み、どこに集まるのかを知らなかったからだ。それはあまりにもありきたりなもので、そういったことを調べる意義のようなものを、人々は感じなかったからだ。人は失われてからそれの貴重さに気づくものなのだ。愛に限らず。
 そしてほどなく、愛の絶滅が公式に発表された。
「おそらく」と調査団の団長は会見で語った。「愛はずいぶん昔に死に絶えたのでしょう。今回の調査では、愛の痕跡も見つかりませんでした」
 人々は落胆した。愛無しでは生きる希望が持てないと嘆いた。同時に少し安堵もしていた。愛無しで生きてもいいのだと。
 というわけで、人々は愛無しで生きた。といっても、絶滅からそれなりに時間がたっているのだとしたら、その間人々は愛無しで過ごしていたはずなのだ。となると、それまでだって愛は無かったのだから、気持ちの持ちよう以外はなんの変化も無い。人々は淡々と日々を送った。
 そんなある日、愛が見つかったというニュースが流れた。秘境のさらに奥、人跡未踏の地に愛がいた、という。人々は眉に唾つけてそれを聞いた。報じたのが胡散臭い新聞だったからだ。以前には河童だか妖精だかの目撃情報の載った新聞だ。それでも、人々は内心期待に胸躍らせていた。そうして続報を待った。他のマスコミもそれを報じ始めた。報じられるのは愛が発見されたというニュースばかりだった。そして、そのニュースは真実であることが確認された。愛は絶滅していなかったのだ。
 そこで捕獲隊が結成され、愛を保護することになった。愛を保護し、人間の監督下に置いて飼い慣らせば、もしかしたら、人工的に殖やすことができるかもしれない。捕獲隊は慎重に愛に接近し、網で捕まえようとしたが、愛はすばしっこくて捕まらない。そこで、罠を仕掛けることになった。愛は簡単に罠にかかった。しかし、罠にかかった愛はすぐに死んでしまった。

No.313

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