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ぼくは今まだ生きている

 ぼくの詰め込まれたその貨車は、どうやら本来動物を運ぶために使われていたものらしく、凄まじく不快な臭いがして、それでなくともぎゅうぎゅう詰めで息苦しかったので、胸が悪くなって、道中吐き気を堪えるので必死だった。生唾を飲み込む。どこかで嘔吐するうめき声が聞こえる。胃液が喉元まで込み上げてくる。
 ようやく生きた心地のしたのは、蹴落とされるように貨車から降りて、外気を胸一杯吸い込んだ時だったわけだけれど、すぐにそんな気分はしぼんでしまった。だいたいにおいて、それは楽しい旅ではなかったのだ。ぼくを含め、そこに連れて来られた人間たちはみんな知っていた。そこに放り込まれたが最後、生きては帰れないということを。それでも、新鮮な空気を吸えば生きている実感を味わってしまうなんて、無情である。
 収容所は高い塀で囲まれ、それは外から襲来するなにかを防ぐための塀ではなくて、中に閉じ込めたものを出さないためのものだった。まるで刑務所だが、ぼくをはじめ、そこに収容される人間の誰ひとりとして悪事を働いてはいない。あるいは、その各々にその各々の悪を抱えているかもしれないが、少なくとも法を犯すようなことはしていない。女性も、まだ年端もいかないような子どもすらいる。その塀が中に閉じ込めたのはそんなぼくらだ。
 見るからに堅牢そうな門には「労働は自由にする」と掲げられていた。ぼくは不用意にもその言葉に希望を見出だしそうになってしまった。労働が自由にする。自由。かつて、ぼくの手の内にあったもの。しかしながら、ぼくらは知っていたのだ。そこから外に出るためには、煙になって空に昇る他ないのだと。ぼくらはそう噂していたし、事実、そこから帰って来た人を誰も知らなかった。
 そこでの生活は苦痛以外の何物でもなかった。それは人間の作り出した地獄に違いなかった。狭い部屋に押し込められ、食事はろくに与えられず、病気になっても怪我をしても手当てなどしてもらえなかったので、簡単に人が死んだ。最初、死んだ者は焼却炉で焼いていたのだが、それでは手が回らなくなり、最終的には穴を掘ってそこにガソリンをかけて燃やすようになった。ぼくはその係りに任じられた。ぼくは幾多の同胞たちの死体をそうして焼いた。どす黒い煙が大量に上がった。あまりに仕事の多い時には、ぼくは煙にやられて目が開けられなくなったほどだった。ぼくの身体には死体の臭いが染み付いてしまっていたので、同じ部屋の人間たちには疎まれた。死の臭いを連れてくるというのだ。ぼくの鼻は麻痺してしまっていて、ちっともそれがどんな臭いなのかわからなかったのだけれど。
 そうして、ぼくはどうにかそこで生きた。終わりなど見えなかった。ぼくらに比べれば、刑期の決められた囚人たちがどれほど恵まれていることか。本当に、死んで煙になったほうが幸せではないのかとすら思った。自由とはそこにしかないのではないかと思った。しかし、ぼくは生きた。ぼくは毎日、寝る前に自分の枕元にこう書いた。
「ぼくは今まだ生きている」
 もしぼくがその収容所で、他の多くの人たちと同じように死んでしまったとしても、ぼくのその言葉だけは生き続けただろう。それはぼくの生に対する執着だった。そして、生に対する書き置きだったのだ。
 ぼくはどうにかその地獄を生き延びた。幸運だったという他ないだろう。ぼくが死ななかった理由は無い。生き延びたのはたまたまだった。あるいは、ぼくが生き延び、ぼくよりも善良な他の人間が死んでしまったことを考えることもあるが、すぐにそれはやめることにしている。考えたところで、答えが出ないからだ。冷たいかもしれないけれど。
 ぼくは、今まだ生きていて、そうしてこれを書いているわけだけれど、いずれ時が来たら死んでしまうことだろう。これは逃れ得ぬ定めなのだ。しかし、そうなってからも、ぼくの言葉はぼくが生きているということを主張し続けるのだ。
 ぼくは今まだ生きている。
 ぼくは今まだ生きている。
 ぼくは今まだ生きている。
 ぼくは今まだ生きている。
 ぼくは今まだ生きている。


No.547


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