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悪人

 ぼくは悪人です。悪人として生をうけ、悪人として育ってきた、筋金入りの悪人、それがぼくです。
 ぼくが働く悪事は、ぼくの意志が関与しないところで起こります。ぼくが悪事を働こうとしないでも、ぼくがすることはすべて悪事になるのです。なぜなら、ぼくは悪人だから。ぼくは悪人なので、ぼくの為すことはすべて自然と悪事になっていくのです。
「全部お前が悪いんだ」ぼくは良くそう言われます。そう、ぼくが悪いんです。ぼくは悪人だから。
 ぼくが喋る言葉は意図せずとも侮辱の言葉となり、ぼくの行動は相手を陥れるはかりごととなります。それはたとえぼくの善意から出たことであろうとも。
 確かに、筋金入りの悪人であるぼくが善意を持つというのには矛盾や違和感を覚えるかもしれません。しかし、悪人が善意を持つことだって可能なのです。信じられないかもしれないけれど。それは、他人の心の中が覗けないからそう思うに過ぎません。と、ぼくは思います。現に、ぼくはあなたがどう思っているかがわからず、あなたの心中をあなたの仕草や態度から類推しているわけです。そして、あなたも、また他の人々も、ぼくをそうやって判断しているわけです。ぼくは悪人なので、心にどんな善意を持っていたとしても、行動が悪行になるので、結果として、善意の欠片も見当たらなかったかのように見えるのです。誰にも見つかることのない、悲しきぼくの善意。
「全部お前が悪いんだ」
 ぼくのために、どれだけの人たちが不幸のドン底に叩き落とされたでしょう。もちろん、叩き落としたのはぼくなのですが、そのたびに、ぼくは心を痛めてきました。だから、ぼくは、なるべく人と関わらないで生きようと決めたのです。関わらなければ、さすがに悪事を働くこともできまい。そう思っていたのです。ところが、どんなに世界の片隅に行こうとも、そこはやはり世界の一部なのです。ぼくが存在することで、世界は影響を受け、悪いことが起こるのです。ぼくのため息が、嵐になり、家々を破壊したこともあります。
「全部お前が悪いんだ」
 おそらく、ぼくがこのくびきから逃れるには、死しかないのでしょう。ぼく自身、もう覚悟を決めました。あなたはぼくが最後に言葉を交わす人間です。その最後に、ぼくの唯一と言ってもいい、思い出を話したいのです。短い話なので心配いりません、すぐに終わります。
 あれは、まだぼくが人の間で生きていたころのことです。
 街を歩いていると、ぼくの前を黒い子猫が横切りました。その子猫は歩みを止め、じっとぼくを見上げました。ぼくは、ぼくが何かをしようとすると、またきっとろくでもないことが起こると思い、ただそこに立ったままでいました。すると、子猫はぼくの足元にやってきて、頭をぼくの足にこすりつけるではありませんか。そんな風にぼくになつかないほうがいい、ぼくはそう言いました。
「ぼくは悪人だよ」と
 すると子猫は「だから?」と首を傾げたのです。
 これが、ぼくの思い出です。つまらなくてすいません。ぼくのせいで、あなたの貴重な時間を無駄にしてしまいましたね。それはぼくが悪人だからだと思って、諦めてください。
 それでは、さようなら。


No.637

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