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三十五番目の嘘

 三十五番目の嘘がバレてしまったので、わたしはもう二度と嘘をつかないことにした。
 それまでの、三十四の嘘たちはバレなかったので、そのままにしておくことにした。だから、その嘘たちは今も元気に生きていて、跳ね回ったり、歌を囀ったりしているのだ。わたしの三十四の嘘がどんなものなのかは、だから教えられない。教えてしまって、それが露見してしまえば、それらの命が絶たれてしまうだろう。だから、その嘘はわたしの胸の中にしまわれ続ける。愛おしいわたしの三十四の嘘。
 三十六番目の嘘は、結局この世に生を受けることが叶わなかった。嘘自体がそれを望んだかはわからないけれど。もしかしたら、わたしがその嘘を生み出しても、「誰も生んでくれなんて頼んでねえよ!」なんて悪態をつかれるかもしれない。そんなこと言われたら、わたしはきっとニヤニヤしてしまうだろう。そして、こう言い返す。「生まないでくれとも言われてないじゃん」これに三十六番目の嘘はどう返すだろう。きっと、黙ってぐうの音も出ないに違いない。でも、これは全部「タラレバ」の話だ。現実には起こらない、反実仮想。なぜなら、三十六番目の嘘は決して生まれないから。三十五番目の嘘が嘘とバレて、わたしはもう嘘をつかないことにしたのだから。
 もちろん、三十七番目も、三十八番目も存在しない。三十九番目もそれ以降も、無限に。
 嘘をつくことをやめたわたしが、正直者になったのかどうかはわからない。真実を口にしないことだってあるからだ。黙りこんで、何も言わない。何も言わないのは嘘をついているわけじゃない。そうして、嵐の去るのを待つのだ。以前からわたしは人づきあいが悪くて、いつもムスッとしてて、無表情で、何を考えてるかわからないと言われたけど、、さらにわからなくなったかどうかはわからない。どっちでもいいような気がする。
 三十五番目の嘘がバレるまでのわたしが、嘘つきだったかと言うと、わたしはそうは思わない。わたしはちゃんと本当のことも喋ったし、考えてもみてほしいのは、わたしのついた嘘は三十四しかないのだ。まあ、それが多いと見るか、少ないと見るかは微妙なところかもしれない。正直者で、「わたしは生まれてこのかた、嘘をついたことがありません」という人もいるのかもしれないけど、そんな人のことをわたしは信じない。信じられる?
 わたしは、わたしの三十五番目の嘘がお気に入りだった。たぶんそれが心の隙を生んだに違いない。わたしがそれに見惚れて、悦に入っていたせいで、それが嘘だと露見したのだ。往々にしてそんなものだ。心の隙はそういうときに生まれるものだ。
 わたしが今後嘘をつかないことに決めたと言うと、わたしの数少ない友人は興味を持って事の顛末を聞きたがった。そこでここまで書いたのと同じような話をすると、友人は尋ねた。
「三十五番目の嘘は、どんな嘘だったの?」
「もう二度と嘘はつかない、って嘘」
「本当に?」
「本当。だって、もう二度と嘘をつかないって決めたんだから」


No.372


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