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そして、わたしはバスを降りた

 盗み聞き、と言えば人聞きが悪いが、そう言われてもしかたあるまい。乗り合いバスに乗っていた時、わたしの後ろで話していた若い娘二人の話である。
 普段であれば乗り合いバスになど乗らないのだが、その時はどうしたことかタクシーが捕まらず、仕方なくバスに乗ることにした。座席は埋まるくらいの混雑ではあった。わたしの腰を下ろした後ろには若い娘二人が座っていた。わたしは文庫本を取りだし、それを読もうとしたのだが、彼女たちが話しているので気が散ってしまい、ひとつ大きく息をついて本を閉じた。そして、舗装の悪い道をガタゴト揺れながら走るバスの窓に頭を凭れさせて、目をつぶり、眠ろうとしたのだった。しかし、彼女たちの話し声が気になってそれもできない。次第にわたしは、二人の話に耳を傾けていったのだ。
 二人は職業婦人らしく、その同僚であり、それ以前の学生時代を共にはしていないようだった。二人は各々の学生時代のことなどを話していた。その中での話だ。
「わたしね」と、娘の一人は話し始めた。「とても仲の良い子がいたの。とてもとても仲の良い子が。
 彼女は転校生で、とても美人だった。女のわたしですら息を飲むような。彼女を見てると、自分が女に産まれたことを後悔するような気分にさせられた。でも、クラスでの評判はあまり良くなかったの。女ばかりの集まりって、そういうところがあるでしょう?おそらく、嫉妬に近い感情なんだろうけど、自分の持っていないものを持っているものを貶めてやろう、みたいな、そんな感じ」
 ここから話はありきたりな学生生活の話になる。その美しい娘と、どういう拍子か彼女は仲良くなったのだ。クラスの中で虐げられた少女と、彼女と心を通わせるようになる少女。美しき友情。その過程が話されていく。周りから距離を取るようになればなるほど、二人の絆は強くなっていく。しかしながら、それは少女同士の脆く儚い友情であり、どこかでそれが露呈し、崩れ去ってしまうのではないかと、聞いているわたしをハラハラさせた。事実、二人の関係に亀裂がはいることもあったのだ。しかし、引き合う強さはそれをバラバラにはせずに、さらに強固なものにしていったのだ。
「ある時」と、その娘は言った。「わたしたち、死ぬことにしたの。なんでそんなことにしたのか覚えていないんだけど、絶望していたのは確かだけど、それは学校で孤立していることなんかじゃなくて、もっと大きくて、漠然としたものに絶望していたんだと思う。死んじゃいたくなるくらいに。それが何なのかわかれば、たぶん死んじゃいたくなんてならなかったんだけど、だって、それが何かわかれば、それを取り除けるかもしれないけど、何かわからないから、わたしたちはとてもとても絶望してて、もう死んじゃうことにしたの。同じ日、同じ時刻に、それぞれ別々に。わたし、彼女と約束したのよ。家に帰って、この時刻になったら死んでしまいましょう、って。でも、わたしがこうして話しているのでわかる通り、わたしはその約束を破ったの。で、彼女の方は」
 と、娘が話したところで、わたしが降りるべきバス停に着いた。そして、わたしはバスを降りた。


No.451


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