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魔女の学校

 姪が魔女になった。我が家は父も祖父も公務員だったし、その姪の父親にあたるぼくの兄も公務員をするような一族だったから、まさか魔女になる者が現れるとは思いもしなかった。魔女である。しかしながら、ぼくは魔女がどんなものなのかを詳しくは知らない。箒に乗って空を飛ぶ?魔法の呪文で人を猫にでも変える?お話の中に出て来た魔女についてはあれこれ知っているような気になっているが、知っているような気になっているだけでその実態は知らない。思えば、世の中にある多くの職業についてのぼくの知識はそんなものだ。刑事も、弁護士の仕事も、ドラマの知識から出ない。まあ、そんなものだろう。しかしながら、まさか、あの堅物の兄が、娘が魔女になるのを許すとは思いもしなかった。いや、もしかしたらそれは公務員のような非常に堅実で真面目な職業なのかもしれない。魔女。
「違うよ、おじさん」と、姪はぼくに言った。ぼくは親戚の集まりではよく姪や甥と一緒にいる。あたかも子どもたちの面倒を引き受けているように振る舞っているが、その実は子どもたちにぼくをかくまってもらっていると言った方が正確だ。親戚の大人たちにあれこれ言われるのがイヤだったからだ。
「魔女になる学校に入っただけ。まだ魔女じゃない」と、姪は言った。
「でも、魔女になるんだろう?」
「まあ、そうね」と、姪は肩をすくめる。
「それはその魔女の学校の制服?」
 姪は自分の着ているものを確認し「ううん、これは違う。いま作っているとこ。届くのを待ってる」
「箒に乗った人が届けに来るとか」
「まさか」と姪。「猫が持ってくるんだよ。魔女の使い魔」
「そう」とぼくはそれしか言えなかった。猫か。ぼくは魔女についてよく知らない。ぼくの周りには魔女がいないからだ。そもそも魔女なんてものが本当にいるなんてことすら想像しなかった。作り話の中のものだと思っていたのだ。でも、そうして考えてみると、刑事や弁護士の知り合いだっていない。町で警官を見かけることはあっても、刑事というものは見たことがない。弁護士もそうだ。テレビのニュースで見るようなことはあるかもしれないけど、それが作り物でない保証はどこにあるのだろう。なぜ魔女は信じず、刑事や弁護士はその存在を信じて来たのか。どうでもいいか。
「魔法が使えるようになるのかい?」ぼくは尋ねた。
「そりゃそうでしょ?」と言って、姪は愚か者を見るような目つきでぼくを見た。いや、それは間違いなく愚か者なのだ。魔女が魔法を使わないで何を使うというのだ。愚問にもほどがある。
「どんな魔法?」
「ヒミツ」そう言って姪は笑った。
「ふーん」
「おじさんは?」
「ん?」
「おじさんは何になるの?」
「ぼくは」
 ぼくは何者でもない。何をやっても長続きしなかった。兄がやっていたので始めた少年野球も、ぼくはすぐにやめた。小学校の卒業文集の将来の夢は「プロ野球選手」と書いたがそんなつもりは一切なかった。学校の成績はいつも悪くて、なにしろ授業中には教科書にイタズラ描きしてばかりで先生の話なんてちっとも聞いていないで、いつも成績のいい兄の引き立て役みたいなものだった。仕事だって、最近辞めたばかりで、目下転職活動中だ。それだって上手くいくかどうかわからない。それでいて、不安に思ったりしない自分が不思議だが、根っからのんきなのだろう。
 仕方ない。
「君の魔法で」と、ぼくは言った。「ウサギにでもしてくれよ」
「いやよ」と姪は言った。


No.500


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