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忍び寄る影

 一時期、影に命を狙われていたことがある。影とはわたしの足元にできるあの影である。何かの比喩ではない。
 所詮影だろう、と甘く見るなかれ。それは地面に這いつくばっているだけではない。わたしの影は実際的な力を持っていて、わたしの首を絞めることもできたし、ナイフを振りかざすこともわけなかった。その反面、わたしが影に対して攻撃に出ることはできないのだ。憎き影の奴を殴り付けるつもりが、影の照らし出されている壁に拳を打ち付けることになるのが関の山である。おかげでわたしは手の骨を折ってしまった。
なにより厄介なのは、影は不即不離という具合にわたしに張り付いていることだ。明かりさえあれば、それが太陽であれ、蛍光灯であれ、豆電球であれ、とにかく明かりさえあれば、それは常にわたしのそばにいるのだ。
 一時たりとも気を抜くことはできなかった。うっかり縁側の日向で居眠りでもしようものなら、たちまち絞殺されてしまうだろう。わたしはできるだけ陽の当たらない場所にいるように心がけた。それ以外に状況に対処する方法がなかったからだ。わたしが影を打ちのめすことはできない。逃げ回るしかないのだ。 なんらかの交渉の余地でもあるのなら、場合によっては和解をし、わたしを亡き者にしようという企みをやめさせられたかもしれないが、わたしは自分の影に命を狙われる理由には心当たりがなかった。おそらく、命を狙われる大抵の人がそうであるように。いや、もしかしたら命を狙われる人間にはそれなりに心当たりがあるのかもしれない。
 夜になれば一息つけるものと思われるかもしれないが、そうは問屋が卸さない。我々の暮らすこの社会は、夜であっても明るく、いくらでも影はできるのだ。街路灯に照らされているのに気付かず、あやうく心臓にナイフを突き立てられそうになったことさえあった。
 わたしは闇の中で生きざるを得なかった。本当の、漆黒の闇である。そこでなければ、わたしは常に命を危険に晒さなければならないのだ。そして、影はすぐにわたしの隙を見つけ、呆気なくわたしを殺してしまったことだろう。わたしは闇の中でしか生きられなかったのだ。しかし、暗闇の中で生きるのは実に辛いことなのだ。そこにやって来る人はいないから、そこでは常に孤独だ。別に静かにしていなければならないわけでもないが、音は闇に吸収されてしまうのだろうか、静かだ。そんな中で飯を食べても、何を食べているのだか見当もつかなく、味もわからない。自分の爪さえ見えないとなると、自分は消滅してしまったのではないかという思いに囚われるようになる。それは恐怖だ。自己の消失とは、おそらく何にもまして強烈な恐怖を呼び起こす。それは死よりも恐ろしいかもしれない。輪廻転生や、来世を信じながら死ねるのなら。闇の中、わたしは悟った。死とはつまりこういうものなのだ。五感を失い、自己の存在すら消え失せる。恐怖することさえできないのだという恐怖。しかし、同時にそれは救済でもあった。わたしの消失は、わたしの影の消失でもある。影が消え失せれば、わたしは死の影に怯える必要がなくなるのだ。矛盾があるかもしれないが、その時は間違いなくそれは救済であった。恐怖することさえできないのだという恐怖をまじまじと見詰めていたら、それが恐怖ではないのだということがわかったというような、拍子抜けである。
 そんな心持ちになって、わたしは暗闇から出てきた。影がわたしを殺そうとしないような気がしたし、たとえ殺そうとしようとも、それはそれでいいような気もしたからだ。
 案の定、影は影で、わたしを殺そうとはしなかった。
 影には殺されなくとも、いずれわたしは死ぬだろう。

No.248

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