悪徳の街、市長

 市長の埋葬に立ち会ったのはぼくと墓守だけだった。墓守はその職責上それに立ち会わなければならなかった。市長の収められた棺を墓穴の中に下ろし、それに土をかけるのが墓守の仕事であるからだ。立ち会うと言うよりも、もっと全的にそれに関与しなければならない。好むと好まずに関わらず。事実、墓守は始終不機嫌で不本意そうだった。無理もないかもしれない。あるいは、墓守はいつも不機嫌で不本意そうにいているのかもしれないが。
 市長は本当の市長ではない。呑んだくれの流れ者であり、この街における被選挙権はもちろん、投票する権利も持っていなかっただろうし、もしかしたら市長は選挙に行ったこともないかもしれない。そういう権利を主張できる場所を、市長がどこであれ持ったということが想像することができない。いつも汚い身なりで、住む家も持たず、ゴミを漁って空腹を満たし、拾い集めた小銭はすべて酒に変えていた。そして、街のいたる所で呑んだくれ、酔っ払ってくだを巻いていた。街の住人は誰もが市長のことを嫌っていた。その埋葬に誰も来なかったのは当然だし、墓守の態度にしても致し方ないだろう。
 市長が市長と呼ばれるのは皮肉だ。市長は酔っ払ってくだを巻くといつもこの街の行末を憂いていた。
「誰もが誰も信じず、互いに互いから盗みあっている」ため息。「この街は一体どうなってしまうことだか」
 誰もそんな戯言に耳を貸さない。誰もがそれぞれになすべきことがあり、そのために寸暇も惜しんでいたからだ。水道の配管を直し、トマトを売り、釘を打ち、そして金をもらってクソをして寝る。それがこの街の住人たちである。そして、行き着く先は死だ。それがこの街の住人たちである。誰もそれに疑問を持たない。それがこの街の住人たちだ。この街の住人たちには市長の戯言に耳を貸すような時間はなかった。
「まるでこの街の市長みたいな言い草だ」と、誰かが言い出し、そして、市長は市長と呼ばれるようになったのだ。
 この街の実際の市長、選挙で選出されたその人、街の至るところにその笑顔のポスターの貼られた人も、選挙期間にはちゃんとこの街の行末を憂う。市長に正式に任命されたあとのことはわからない。少なくとも、行政のさまざまな段階で不正や汚職が蔓延っていて、裏金なんてのは日常茶飯事なわけだけれど、市長がそうした行為に関与しているかはわからない。おそらく、関与しているのだろうけど。
 市長、実際の市長ではなくて、いつもこの街を憂いていた市長は、そのこと、街に蔓延る悪を常々批判していた。
「一部の者達だけが私腹を肥やしている」
「一部って?」と、ぼくは尋ねる。市長は肩をすくめる。
「市長?」
「それもある」
「ギャング?」
「それもある」
「警察?」
「それらはみな同じことだ」
「どういうこと?」
「考えてごらん」
 ある日、ぼくは親方に呼び出された。仕事が終わって、帰ろうとしていたときだ。
「お前、あのろくでなしと口をきくんじゃねえ」と、親方は言った。ぼくは首を傾げた。誰のことを言っているのかがわからなかったのだ。ぼくの周囲には、いや、街にはろくでなしが多すぎた。警察も、ギャングの連中も、みんなろくでなしであり、誰もがそれらと何らかのつながりを持っていた。警察は袖の下を要求するのが常だったし、ギャングはギャングでみかじめ料を言ってきた。それを収めることで、物事はすんなり進むというのが、ぼくらの街だった。残念ながら、そうしないと生きていけないのがぼくの住む街なのだった。
「あの、市長とか呼ばれている呑んだくれだ。あんなのと付き合うと、お前までろくでなしになるぞ」
「はい」
 親方の命令は絶対であり、「はい」以外の答えはありえない。もしそれ以外、「いいえ」なんて言うまでもないだろうが、「でも」でも「だけど」も差し挟む余地はない。「はい」だけだ。だから、ぼくは「はい」と答えた。それでおしまい。そして、それから二度と市長とぼくが言葉を交わすことはなかった。たまに街なかで見かけても、ぼくは親方の言いつけを守って市長とは距離を取るようにした。市長はいつも、千鳥足で、重たい足取りであるいていた。
 市長の死体を見つけたのはぼくだった。早朝、ぼくが職場に向かって歩いていて、ゴミ捨て場の前を通りかかったときにそれを見つけた。ボロ布にくるまれ、血まみれになったそれは、それが人間であったことがわからないほどボロボロだった。執拗になぶられたのがひと目でわかった。すでに息はなく、それをわざわざ確認するまでもなかった。
 おそらくその界隈でたむろしている若者たちの仕業だろうというのが噂だったが、誰一人として逮捕者はでず、そのまま事件は簡単に処理された。異論はどこからも出ない。流れ者の呑んだくれが処理された。めでたしめでたし。街がほんの少しであれ浄化された。たぶんそんなところだろう。ギャングもこれと言ってなにも言わなかった。警察であれ、ギャングであれ、自分たち以外が暴力を行使することを本来的には好まない。それは彼らの専売特許であり、独占業務なのだ。勝手にそれを行使するものが現れれば、必ず罰が加えられる。しかしながら、警察もギャングも、そうした動きがなかった。あるいは、そのどちらか、場合によっては両方が裏で手を引いていたのかもしれない。街を「浄化」するためということで。もちろん、市長の戯言を彼らが気にしていたなんてことはないだろう。歯牙にもかけていなかったに違いない。
 人は簡単に死ぬ。市長の棺に土が落とされていく音を聞きながら、ぼくは思った。それは想像するよりも簡単だ。その絶対的な事実の前に、金がなんの役に立つのだろう。汚職をする役人や警官、暴力を振るうギャングたちのことを考えた。彼らはなにがしたいのだろう?その時のぼくには理解できそうになかった。いや、どれだけたっても理解できないのかもしれない。
 死のう、とぼくは思った。しかし、それはここではない。ここではいけない。こんな街では死にたくないと、ぼくは思った。
 市長の棺が完全に埋まってしまう前にぼくはそこをあとにし、街を去った。
 

No.504


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