見出し画像

死んでも死にきれない

 霧に包まれた夜道を歩いていると、向こうの方から船が来た。船である。間違えても海の上を歩いていたわけではない。間違えているのは船の方である。船が道を進んではいけない。「ああ、間違えているなあ」という心持ちでその船の近づいてくるのを見ていた。
 船は大きな帆船で、船腹をアスファルトの道路に、それこそ水の上でやるように半ば埋め、それでもそろりそろりと確かに前進し、こちらに向かってくる。船はかなりの時代物というか、ぼろぼろで、帆はいたるところが破けていて、とてもではないが風など受けられないだろうし、船体も穴があいたり、薄汚れたりしている。よくこれで航行ができるものだ、よく沈まないものだと思った。とはいえ、そこは陸の上なのだ。陸の上で沈没ができるものなのかどうなのか、それはわからない。
 縄梯子が甲板から垂れ下がっているのを見つけた。登って来いといざなうようである。僕はその手招きに応じ、それを昇って、船に乗り込んだ。好奇心は猫を殺すのにしても、好奇心を持たない人生がなんになろう。それに、乗り込まないでそのまま通り過ぎてしまったら話が盛り上がらない。この話の登場人物としてはそれではいささか困る。僕は献身的なのだ。
 恐る恐る覗くと、甲板では船員らしき男たちが集まり、何か言い合っている。皆、筋骨隆々とした、いかにも海の男といった風貌だ。万が一取っ組み合いになったら敵わないだろう。万が一ではない。見つかれば大捕物になる可能性はむしろ大だ。何しろ僕は侵入者である。温かく迎え入れられると思う方が虫がいい。僕は怖くなって、昇って来た縄梯子に戻ろうとしたが、運悪く踏み出した先の甲板が腐っていたらしく、踏み抜いてしまった。大音響。男たちが一斉にこちらを向く。必死で逃げようとしたが、足がはまって身動きとれず、あっさりと捕まってしまった。
「ここで何をしていた?」船員らしき男の一人が言った。
「すいません、勝手に上がりこむのは悪いとは思ったんですが」僕はうつむきながら言った。「こんなところに船があるのが珍しくて、つい覗いてみたくなってしまったんです」
「おい、こんな奴は放っておけよ」別の男が言った。「時間の無駄だ」
「そうだ、とっとと済ましちまおうぜ」また別の男は言った。
「何をしているんです?」と僕は尋ねた。男たちは一斉に僕に視線を向けた。
「この船が沈んだ原因が何か、話し合っているんだ」と僕に詰問した男は言った。
 話を聞くところによると、男たちは幽霊であり、船は幽霊船らしい。昔々、何らかの原因、おそらく氷山にぶつかって沈没してしまったそうだ。
「お前がちゃんと見張りをしてなかったからだ」
「なに!俺はちゃんとやってたさ!それはお前だろ?」
「あいつが居眠りしてたんだよ!」
「お前が昼間サボってばっかりいるから、お前の分まで働いて疲れてたんだ」
「いや、お前が」
 こんな具合に、男たちは延々と議論を続けてきたらしい。
「誰が悪いのかはっきりさせなくちゃ、死んでも死にきれねぇ」
 僕はこっそり抜け出し、船を降りた。彼らが成仏できたのかどうか、僕は知らない。


No.344

兼藤伊太郎のnoteで掲載しているショートショートを集めた電子書籍があります。
1話から100話まで

101話から200話まで

201話から300話まで

noteに掲載したものしか収録されていません。順番も完全に掲載順です。
よろしければ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?