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わたしの惑星

 わたしの頭の周りを惑星が回りはじめた。目の前を横切る小さななにかがあるから、てっきりハエかと思っていたのだけれど、惑星だった。小さな小さな惑星だ。わたしの頭の周りを公転している。小さいながら、自転もしているようだ。正直なところ、目ざわりである。公転周期は小さい分とても短くて、そうなるとひっきりなしに目の前を横切るようなことになる。とても、目ざわり。
「はあ」と、わたしはため息をつく。「どうしてこんなことになっちゃったんだろう?」
「むふふ」と、姉が含み笑いをしながら近づいてきた。「それはあんたの引力が強いからじゃないの?」
「えぇ」と、わたし。「そんなに強いかな、引力」
「じゃないと説明できないでしょ」と、姉は言った。「いつどこであんたの周りを回るようになったの?」
 それが自分でもわからないのだ。気づいたときには惑星はわたしの周りを公転していた。いつからなのか、どこでなのか、まったくわからない。
「きっとどこかで」と、姉は言った。「漂ってた星が、なにかのきっかけであんたの引力に捕まっちゃったんだね」
「捕まえてなんか」と、わたしは言った。「ない!」
「むふふ」と、姉は笑った。
 惑星が回るようになるのはなにかと迷惑だ。まずとにかく目ざわりだ。四六時中目の前をそれが横切る。いつか慣れるかと思ったけど、ちっとも慣れない。歩いているときも、食事をしているときも、お風呂に入っているときも、それは回り続ける。寝るとき、横になって頭を枕にあずけているときにはどうしているのだろう?たぶん、妥協したルートを通っているのだと思う。わたしの頭の枕にあずけていない側で半円を描き、枕に邪魔される方は本来の軌道まで枕の上を通っているのだ。
 人混みのような場面では、惑星は簡単には妥協しない。満員電車なんかだと、どうしても惑星の軌道上に人が立ってしまう。惑星はお構いなし。それが自分の軌道であり、それだけでそれが正当なものででもあるかのように、平気で人にぶつかっていく。
「いてっ!」
「すいません、すいません」
「困るんだよな。惑星を回しながら満員電車に乗られちゃ」
 そんなことを言われても。わたしはそう思う。好きで惑星に回られているわけではないし、好きで満員電車に乗っているわけでもない。どちらも仕方なくなのだ。それなのに文句を言われるなんて、泣きたくなってしまう。
 一度、惑星を手で捕まえ、その軌道から引きはがそうとしたことがある。まず捕まえることから大騒動だった。一定の軌道を描いていたはずのそれは、わたしの魂胆に気づいたのか、わたしが手を伸ばした瞬間にそれをよけて見せた。
「こら!」
「あ!」
「ちょっと!」
 そんな風に悪戦苦闘。手のひらをかすめ悔しがり、今度こそと力むと空振り、苛立って地団太を踏む。
 そんなこんなでどうにかそれを捕まえたものの、惑星の力は強く、軌道からはがされることに抵抗し、わたしもそう簡単には諦めないから、綱引き状態、
「離れなさい!」と、わたしは叫ぶ。
 惑星はブルブル震える。きっと首を横に振っているのだろう。拒絶の姿勢。
「離れて!」と、力を込めた瞬間、わたしの手が緩んだんだろう。惑星は逃げ出し、また軌道の周回を始めた。わたしはくたびれて体の力が抜けて、その場にへたり込んでしまった。そのままわたしが泣き始めても、惑星は知らん顔、周回をやめない。絶望的だった。わたしはこの惑星と一生付き合うことになるのだろうか。歳を取って、おばあさんになっても、私の頭の周りを惑星は回り続けるのだろうか。そんなのって、そんなのって、控えめに言って最悪じゃないか。
 ところが、ある日のことである。暗い気持ちで歩いていたとき。もちろん、頭の周りには惑星が回っている。そう、わたしの頭の周りには惑星が回っている。
 回っている。
 回っている。
 回っている。
 回って、いない。
 わたしは驚いて、あたりを見回した。間違いなく、惑星は姿を消している。わたしの頭の周りを回っていない。どこに行ったんだろうとキョロキョロしていると、見つけた。きれいな女の人の頭の周りを回っている。その人はまだ自分の頭の周りを惑星が回っているということに気づいていないみたいだった。
「わたしの惑星」と、わたしは囁くみたいに呟いた。女の人はなんにも気づかないで行ってしまった。頭の周りを惑星に回られながら。
 そのことを姉に話すと大笑いされた。
「あんたの引力はそんなもんだったんだね」
「いや、別にいいし。惑星が無くなってせいせいする」
「ホントに?」
「ホント!」


No.564


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