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すごく静かな教室で

 ぼくは犯人を知っていた。彼女だ。犯人は彼女だ。
 朝、登校するとウサギ小屋の周りに人だかりができていた。メタセコイアの背の高い木のすぐ脇にあるウサギ小屋だ。普段なら、少し足を止めてウサギの様子を見るようなやつがいるくらい、それだってよほどの物好きなやつで、みんなウサギがそこにいるなんて忘れてるんじゃないかってくらいの感じだった。胸騒ぎがした。女子が泣いている。確か、飼育係だったやつだ。慌ただしく先生たちがやって来る。子どもたちの人垣をかき分けてウサギ小屋に入って行った。ぼくはそれをしばらくのあいだ遠巻きに眺めていた。彼女もぼくと同じようにそれを眺めているのに気がついた。彼女はまったく感情のない顔でそれを見ていた。そこには好奇心も、怖れも無かった。完全に無の表情。ぼくは少し身震いした。前から、彼女が不意に見せる表情だ。彼女がぼくの視線に気づき、こちらを見た。視線がぶつかり合う。まばたきをして、彼女は行ってしまった。教室に行ったのだろう。
 急遽、一時間目がホームルームになった。
「ウサギ小屋の」と、そこでぼくらの担任の先生は一度言葉を区切った。正しい表現を探してるみたいだった。ちゃんと、赤ペンで丸をつけてもらえる表現を。でも、きっとそんなものは無かったのだろう。「ウサギが殺されました」正解。丸。
 ウサギたちは死んだのではない。殺されたのだ。たぶん、毒を飲まされたのだろうということだった。ずっと泣いていた飼育係の女子が泣き止んだ。誰かが、意図的に、毒をウサギに飲ませた。誰が?わからない。
「なにか知っていることがあったら」と、担任の先生は絞り出すみたいにして言った。先生はきっと動揺していたのだと思う。大人が動揺するなんて、ぼくは知らなかった。「先生に教えて下さい。あやしい人を見たとか、そういうこと」
 ぼくは振り返って、窓際の席の彼女を見た。彼女は先生を見ていた。石灰水が二酸化炭素で白くなっていくのを確かめるみたいな目つきだった。
 その一日は、なんだかずっとふわふわと浮かんでいるみたいだった。誰も彼もがぼんやりとしていて、話すことも耳に入ってこないし、そもそも話している本人も自分がなにを話しているのかわかってないような感じだった。靄がかかったみたいで、先生までそんな感じだった。みんな殺されたウサギのことを話したい様子だったけど、誰もそれを話さなかった。
 そんな中、彼女は、彼女だけはいつもと変わらない様子だった。と言っても、彼女はそれまでもいつだって、そこにいるのにそこにいないみたいだった。(彼女)みたいな感じ。いつも彼女だけ、別の世界にいるみたいだった。別の世界、誰も彼女に触れられない。そんな感じ。
 その前日、ぼくは彼女がウサギ小屋の前にいるのを見ていた。彼女はしゃがみ込み、彼女の前にウサギたちが集まっていた。ぼくはそれが別段不自然だとは思わなかった。それまでにも、彼女がそうしてウサギ小屋の前にしゃがみ込んでいるのを何度も見ていたからだ。ウサギたちは彼女になついていた。きっと、飼育係の女子によりも、彼女になついていたんじゃないかと思う。おそらく、学校の誰よりも、彼女はウサギを気にかけていた。自分で持ってきたちょっとした餌をあげていることもしばしばで、そのことで飼育係に少し睨まれていたくらいだ。彼女の手から与えられる餌を、貪るように食べていたウサギを思い出す。もう死んでしまったウサギたち。
 長く曖昧な一日が終わり、下校のとき、ぼくはタイミングを見て彼女に話しかけた。学校から少し離れたところ、誰もない、ふたりきりになった時を見計らって。
「ウサギを」と、ぼくは言った。「殺したのは君でしょ?」
「うん」と、彼女はこともなげに答えた。ためらうこともなく。「そうだけど」
「どうして?」
「どうして?って、どうして?」
「餌、あげてたじゃん」
「うん」
「どうして?」
 彼女は黙り込んだ。ぼくは彼女がなにか言うのを待った。「かわいそうだから」
 ぼくは彼女の言うことが飲み込めなかった。「死んじゃって、かわいそうだ」
「違う」と、彼女は言った。「あんな檻の中で、ずっと生きてくなんて、かわいそうだと思わない?」
 今度はぼくが黙り込んだ。なんと言えばいいのかがわからなかった。たぶん、正解なんて無い。「死んじゃうより?」と、ぼくはどうにか言った。
「うん」と、彼女は言った。「死んじゃうより」
「優しいんだね」と、ぼくは言った。
「うん」と、彼女は言うと、行ってしまった。
 その晩、ぼくは夢を見た。教室の夢だ。静まり返った教室の夢。誰もいないわけじゃない。みんな自分の席についていて、机に突っ伏している。体を机に預け、微動だにしない。給食を食べたすぐあとの時間だ。すごく静かだ。
 彼女はそこにいた。静かに、そこに立って、こちら見ていた。


No.481


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